2012年12月2日日曜日

『カネと暴力の系譜学』萱野稔人

萱野稔人氏の記事が朝日新聞の日曜版に載っていて関心を持った。
聞いた名前だなと思ったら、日曜の朝の時事問題に関するテレビ番組にも出演していた。
関心を持ったのは、風変わりな哲学者とという意外にも、国家の暴力をまともに扱っていることを知ったからだ。
この書のあとがきにも書いてあるとおり、『カネと暴力の系譜学』は『国家とはなにか』の続編であり、後者は「暴力の組織化」、前者は「労働の組織化」がキーワードと言う。
図書を検索して面白そうな方から読んだのだが、本来は『国家とはなにか』から読むべきだった。
それを読んでから紹介しようと思ったが、ちょうど衆議院選挙も間近に迫り、この本を読んでから選挙に行って欲しいと思った。

昨夜も「朝まで生テレビ」で色々討論がなされていたが、そこで気づかされたのは、原発はアメリカや英仏との関係に決定されるものであるということ。
何よりもアメリカが脱原発を容認しないことであった。
まさしくアメリカ国家による暴力的な支配により、日本は身動きできない。
同じ穴の狢として、イギリスに預けたプルトニウムを返すと言われて、為す術がない。
国民を欲望の道連れにし、史上最悪の事故を起こしても、日本国家は変われないのだろうか?
「美しい日本」を取り戻すというのは、米国に従属し原爆に継ぎ原発事故の起きた教訓を活かさないことなのか?
まさしく、今回の選挙は安保闘争に匹敵する重大な選択を迫られるものとなるだろうと思った。

戦争や大恐慌の危機を煽り、国民を不安にして危険な政策を強行することは、戦前のファシズムと変わりはない。
南方や大陸に活路を見出そうとして、日本人だけでも400万人以上の死者(http://www.max.hi-ho.ne.jp/nvcc/TR7.HTM参照)を出した太平洋戦争の教訓を思い出すべきである。
萱野氏はカネに集約させていったのだが、エネルギーも富や暴力と深く関わるものである。
<富への権力>により、民衆を欲望に駆り立て組織化できたカネ。
エネルギー革命により奴隷は賃金労働者になったのだが、IT革命によって労働組織化の問題の比重は下がった。
今後、個人がエネルギーを確保できるようになれば、国家の暴力への権利も抑制されるだろう。

この 『カネと暴力の系譜学』は国家とヤクザを上手く比較して、わかりやすく解説してくれたものである。
フーコーやドゥルーズ=ガタリ等の文献を分かりやすく説明してくれて、一般の人にも理解しやすくしてくれている。
私の研究にとっても、特に「非公式暴力の活用」は差別問題やエスニシティの問題とも関連して参考になった。

目次
カネと暴力の系譜学 [シリーズ・道徳の系譜]
萱野稔人

発行日
二〇〇六年一一月二〇日初版印刷
二〇〇六年一一月三〇日初版発行
発行者 若森繁男
河出書房新社

第一章 カネを吸いあける二つの回路     7
   カネを手に入れる四つの方法      9
   二つの〈権利〉 暴力とカネ 18

第二章 国家暴力について 29
   国家とヤクザ組織の同一性と差異     31
   事象はなぜ合法的な暴力を独占できるのか      50
   合法性と正当性 61
   暴力をめぐる価値判断と思考      77

第三章 法的暴力のオモテとウラ     85
   法と例外   87
   非公式暴力の活用     -    105
   規律・訓練と法の外   127

第四章 カネと暴力の系譜学     153
   所有の起源 155
   資本主義の成立と所有の変容     164
   国家と資本主義のあいだ         176
   労働の成果を吸いあげる運動の機能分化…………184


注 193
あとがき      ー      198





2012年11月25日日曜日

『大正デモクラシー』成田龍一

この道はいつか来た道 ああ そうだよお
とこの書を読むと口ずさみたくなる。どこかの新聞や週刊誌の見出しにも用いられたフレーズに思うが、敢えて使いたい。
混沌とした政局、隠然たる既得権力、未曾有の大災害に不況etc
大きく違うのはアメリカ帝国に制御されて、軍事力が独自の力を持っていないと言うことだろう。
ただ、当時既に英米の東アジア戦略の手中にあったと考えれば、日本は利用されている点では同じかも知れない。
今回も尖閣列島問題における領土問題で貿易等で得をしたのは、ドイツやアメリカなどであった。
日清・日露戦争で確定された領土という歴史に触れようともせず、『琉球王国』がどのような国であったか考慮することも忌避する。
政治家の言う歴史認識が妥当かどうか、岩波新書の『シリーズ日本近現代史』を繙いてみたらどうだろうか。
奇しくも外交の失敗と自民党の安倍総裁が街頭演説で民主党を批難したが、アメリカのアジア戦略に沿う形が将来の日本のためになるのか
ヨーロッパからアジアにシフトした世界経済での、日本のあり方はもう一度歴史認識を問い直すことから始める必要があると思う。
特にこの書は現代日本を考える上で参考になった。

大正デモクラシー
シリーズ日本近現代史④      岩波新書(新赤版)1045
    2007年4月20日 第1刷発行


著 者 成田龍一【なりたりゅういち】
発行者 山口昭男
発行所 株式会社岩波書店

  目 次



  はじめに - 帝国とデモクラシーのあいだ


第1章 民本主義と都市民衆…・            :1
   1 日比谷焼打ち事件と雑業層  2
   2 旦那衆の住民運動  11
   3 第一次護憲運動と大正政変  18
   4 民本主義の主張  27
   5 「新しい女性」 の登場  37


第2章 第一次世界大戦と社会の変容…・        ‥45
   1 韓国併合  46
   2 第一次世界大戦開戦  55
   3 都市社会と農村社会  62
   4 シベリア出兵の顛末  72


第3章 米騒動・政党政治・改造の運動…       81
   1 一九一八年夏の米騒動  82
   2 政党内閣の誕生  89
   3 「改造」の諸潮流 100
   4 無産運動と国粋運動  111
   5 反差別意識の胎動  119

第4章 植民地の光景………:            :129
   1 植民地へのまなざし  130
   2 三・一運動と五・四運動 139
   3 植民地統治論の射程 148
   4 ワシントン体制  156

第5章 モダニズムの社会空間…・         …:163
   1 関東大震災 164
   2 「主婦」と「職業婦人」  171
   3 「常民」とは誰か  178
   4 都市空間の文化経験  183
   5 普通選挙法と治安維持法 190


第6章 恐慌下の既成政党と無産勢力=:    …………・201
   1 歴史の裂け目 202
   2 既成政党と無産政党 209
   3 緊縮・統帥権干犯・恐慌 220
   4 恐慌下の社会運動 228

おわりに-「満州事変」前後…           =237

  あとがき 243

  参考文献
  略年表
  索 引



2012年10月12日金曜日

『世界の奴隷制の歴史』オルランド・パターソン

本文だけで700頁以上あるので読み終えるのに相当時間がかかったが、しかし苦労して読むだけの価値はあった。
訳者あとがきには

本書は刊行後、アメリカの雑誌、新開、学会誌などで数え切れないほどの書評の対象となったが、そのどれもが「驚異的」、「超人的」、「記念碑的」などという最大級の賛辞をもって本書を評価している。注だけでも一冊の本になるほどの分量で、研究者には大きな価値があると言われている(p725)

と紹介していることからも分かるように、奴隷研究には必読の書であった。
もっと前にこの書に出会っていれば、今までの奴隷や人身売買に関する文献の読み方も違っていたと思う。
訳者の解説のように日本における奴隷制はあまり取り上げられていないのだが、『〈身売り〉の日本史―人身売買から年季奉公へ』   下重 清 2012 吉川弘文館を、私は先に読んでいたので、 比較しながら読めた。
この書のお陰で、私も奄美のヤンチュ制度を世界史的な視点で考えることが出来るように思う。
どうしても日本の問題は奴隷という用語で分析することに抵抗を感じ、人身売買という言葉で婉曲的な表現に留めてきた。
また、中国、朝鮮、日本の奴婢という用語と奴隷という用語を区別するような傾向もあったが、パターソンは、最も典型的で長期にわたった奴隷制として、朝鮮をあげている。
そして、中国の宦官にしても、究極の奴隷制ということになる。

この奴隷制に対して一方で「奴隷以下」と表される強制労働の問題があるのだが、奴隷が近代とも切り離せないように、近代戦と「奴隷以下」とも切り離せない問題である。
そして、軍事奴隷というイスラムの例をまつまでもなく、軍事と奴隷は密接な関係にあることを、この書は明らかにしてくれている。
ということは戦時体制を維持している現代社会にとって非常に身近な問題なのであるが、特に日本では目を背けたままになってしまった。
「平和呆け」と一部の政治家や評論家などは日本国民を評するが、軍事と奴隷の問題を冷徹に示さずに「平和呆け」をなじることは国民を馬鹿にしている。
奴隷制の問題が一番深刻だったアメリカでこの書がきちっと評価されることに、その冷徹さを感じさせられる。
上に紹介した下重清氏は年季奉公は身売りと同じという強調しているが、アメリカの奴隷制と年季奉公はあまり区別がない。
今後は世界史的な観点で扱うべき問題であり、同じ奴隷制でも人種差別がないから違うという論理は成り立たないことがこの書を読めば分かる。
そして、奴隷制そのものに興味がない人も、現代の被雇用者の立場と比較してみれば、奴隷制度は身近に感じるだろう。

目次
オルランド・パターソン著
           奥田暁子訳
           世界人権問題叢書41
       世界の奴隷制の歴史
2001年6月20日第1刷発行
発行者 石井昭男
発行所株式会社 明石書店
はじめに 5

 序章 奴隷制の構成要素                25
第Ⅰ部 奴隷制の内部関係
 第1章 権力のイディオム                     55
      権力のイディオムと財産の概念 56
      財産と奴隷制 61
      権力のイディオムと奴隷制のイディオム 71
      奴隷制の矛盾 80

 第2章 権威・疎外・社会的な死                 95
      象徴的支配としての権威 96
      社会的な死についての二つの概念 100
      周縁の統合 112
      奴隷化の儀式としるし 123
      擬制の親族関係 142
      宗教と象徴性 147

 第3章 名誉と蔑視                     183
      名誉の本質 186
      部族社会における名誉と奴隷制 189
      発展した前近代社会の人びとに見られる名誉と奴隷制 198
      合衆国南部における名誉と奴隷制 212
      ヘーゲルと奴隷制の弁証法 218

第Ⅱ部 制度的プロセスとしての奴隷制度

第4章 「自由」民の奴隷化  ・  ・   -   241
     戦争捕虜 242
     誘拐 257
     貢納と税金 268
     債務 271
     犯罪に対する処罰 274
     子供の遺棄と売却 279
     自ら奴隷になること 281

第5章 出生奴隷     -          ・・305
     アシャンティ型 310
     ソマリ型 313
     トゥアレグ型 316
     ローマ型 317
     中国型 321
     近東型 325
     シェルプロ型 329

第8章 奴隷の収得                   33,
     対外貿易 339
     国内貿易 362
     花嫁代償およびダウリー 365
     貨幣としての奴隷 367

第7章 奴隷の境遇                   385
     奴隷の特有財産 400
     結婚その他のカップル 408
     奴隷の殺害 414
     奴隷に対する第三者の犯罪 419
     奴隷の犯罪 423
     全体としての奴隷の取り扱い 426
     能動的行為者としての奴隷 429
     結論 438

第8章 解放- その意味と様式    ・       465
     奴隷状態からの解放の意味 465
     身請けの儀式 474
     解放の形態 481

第9章 解放奴隷の身分               525
     解放奴隷と元の主人 525
     解放奴隷と出生自由民 536

第10章 解放のパターン       ・ ・    567
     解放の発生 568
     解放率と解放のパターン 580
     重要視されない人種 590
     インターカルチェラル・パターン 592
     支配的要因 602
     結論 615

第Ⅲ部 奴隷制の弁証法
第11章 究極の奴隷       ・          635
             
     カエサルの家人たち 636
     イスラムのグラーム 650。
     ビザンティン帝国と中国における宦官 662
     支配の原動力 690

第12章 人間の寄生【パラサイト】としての奴隷制             703

 訳者あとがき 725


 付録 A 782
    B 776
    C  773
 索引 814



2012年8月30日木曜日

『ヨーロッパ的普遍主義』イマニュエル・ウオーラーステイン

ウオーラーステインに関しては以前から何度も引用された文献を読んでいたので、知ってはいたが、本来『近代世界システム』の基礎文献から読むべきところを、題名につられて先に読んでしまった。
副題の「近代世界システムにおける構造的暴力と権力の修辞学」という意味合いは、著者の弟子であり訳者である山下範久氏が日本の読者のために付け加えたようだ。
「暴力」という言葉は、本文ではあまり見いだせないが、山下氏は「訳者あとがき」で多く使っている。
これは我々、ヨーロッパの外にあって、その普遍主義に付き合うことによって生きざるを得ない、立場を表現しているように思う。

本文でも「軍事的」という言葉は見いだせるが、軍事そのものがもつシステムへの影響力の説明はない。
社会学は例外を除いて、それを避けてきたように思う。
経済や政治の暴力と一体化している、暴力そのものの軍事の本質を説明しないことにジレンマを感じてきたがこの書も同じであった。
しかし、科学や人文という学問そのものの暴力性も暴いていることには非常に参考になった。

エリザベス・アボットの『砂糖の歴史』 で生々しい奴隷という暴力の現場の書を読んだ後で、抽象的な暴力のレトリックを学ぶというのももどかしい。
戦争や災害によって脆くも崩れていく、都市文明を身近に感じながら、何とか99%の弱者の中でも何とか生き延びようという我々庶民の生き方に、別の生き方があるのか?
今日もシャープという企業の断末魔をニュースで見ながら、動乱期に生きる現代人の哀れさを思い知る。
1%の強者はシステムの暴力とうまく手を繋ぎながら、正体を見せない。
それを考えさせられる書である。
なお、「訳者のあとがき」も非常に解説として分かりやすい。

目次
ヨーロッパ的普遍主義-近代世界システムにおける構造的暴力と権力の修辞学

著者 イマニュエル・ウオーラーステイン

訳者 山下範久
2008年
発行者 石井昭男
発行所 株式会社明石書店

                   目 次


                 謝辞 9


             はじめに 11
   今日における普遍主義の政治学 

 第Ⅰ章 干渉の権利はだれのものか 19
    -野蛮に対する普遍的価値 

 第Ⅱ章 ひとは非東洋学者になりうるか 69
      -本質主義的個別主義 

 第Ⅲ章 真理はいかにして知られるか 105
      ~科学的普遍主義 

 第Ⅳ章 観念のパワー、パワーの観念 139
    - 与えることと受け取ること? 

          文献一覧 164
           訳者あとがき 168
           索引 189
Acknowledgments

Introduction:
The Politics of Universalism Today

1/Whose Right to lntervene?
Universal Values Against Barbarism

2/Can One Be a Non-Orientalist?
Essentialist Particularism

3/How Do We Know the Truth?
Scientific Universalism

4/The Power of Ideas,the Ideas of Power:
To Give and to Receive?

Bibliography


2012年8月23日木曜日

『砂糖の歴史』 エリザベス・アボット

この書籍も、今までの自分の研究を根本的に見なおさねばならないことを感じさせられました。
私は「奄美の歴史」は日本の歴史において非常に「不都合な歴史」と常々思ってきました。
あの歯切れの良い小熊英二氏でさえ「日本人の境界」で深いりすることをためらう地域ですから、よほど覚悟を持って歴史認識を考えないといけないと思っています。
やはり、一番の問題は村落によっては人口比3割を超えたという、ヤンチュの問題です。
奴隷、人身売買、年季奉公というような分析用語で簡単に括るわけには行きません。
色々と読みあさりましたが、今回読んだこの書籍はタイトルが「砂糖の歴史」と言いながら、実は近代奴隷制度の歴史であり、生活史でもありました。
『近世奄美の支配と社会』 (松下志朗 1983  第一書房)と一緒に読んで頂ければ、他人事ではないことに気付かされる筈です。
この書では中国とインドがプランテーション化を免れた地域として扱い、年季奉公者の部分を大きく取り上げていますが、奄美や台湾を考える時にはそれでは済まされないと思います。
オランダを媒介として仕組まれたシステムとして(専売制と日本の歴史家は呼ぶでしょうが)、近代奴隷制度による植民地としての視角を持つべき事を確証させてくれた書籍です。

目次
砂糖の歴史【さとう】【れきし】
2011年5月20日 初版印刷
2011年5月30日 初版発行
著 者  エリザベス・アボット
訳 者  樋口幸子
装幌者  岩瀬聡
発行者  小野寺優
発行所  株式会社河出書房新社

 序 章 7


第1部 西洋を征服した東洋の美味 17

 第1章 「砂糖」王の台頭 18

 第2章 砂糖の大衆化 56


第2部 黒い砂糖 93

 第3章 アフリカ化されたサトウキビ畑 94

 第4章 白人が創り出した世界 150

 第5章 砂糖が世界を動かす 181


第2部 抵抗と奴隷制廃止 227

 第6章 人種差別、抵抗、反乱、そして革命 228

 第7章 血まみれの砂糖 - 奴隷貿易廃止運動 266

 第8章 怪物退治―奴隷制と年季奉公制 297

 第9章 キューバとルイジアナ―北アメリカ向けの砂糖 326


 第4部 甘くなる世界 375

  第10章 砂糖農園の出稼ぎ移民たち 376

  第11章 セントルイスへ来て、見て、食べて! 421

  第12章 砂糖の遺産と将来 458



  謝 辞 497

  訳者あとがき 500

  参考文献 513

2012年8月9日木曜日

『民権と憲法』 牧原憲夫

私は日本の「創られた伝統」ということに関して言えば、日本の近代に関してきちっと把握できているという自信が無かった。
そこで岩波新書のシリーズ日本近現代史が読みやすいように思えたので、読み始めた。
2巻目のこの書は一見タイトルは面白みのないもので、全部読み切れるか心配だったが、下手な歴史小説より余程面白い。
Wikipediaには「牧原 憲夫(まきはら のりお、1943年-)は、日本の歴史学者東京経済大学非常勤講師。専門は日本近代史  特に明治期の民衆史社会史。 」と紹介されている。
タイトルが政治史のようなイメージを与えるのだが、民衆史・社会史に近い理由がよく分かった。

網野善彦氏は大上段に日本史の「創られた歴史」の部分を批判して、それはそれなりに考えさせられる。
しかし、牧原憲夫氏のように民衆の立場に立った史料を突きつけるほうが、底の浅い「創られた歴史」を笑い飛ばすことができる。
つい最近まで「美しい国日本」とか「和の文化の再考」とか、日本人をあたかも古い伝統の中で維持された民族のように捉える傾向が強かった。
網野氏は日本という国家の起源まで遡って批判したが、明治初期の状況を描くことで充分批判できることが分かる。

私はそもそも権力側にあった薩摩の歴史を調べることから取り組んだので、明治初期の薩長の動向は特に気になっていた。
薩長によって創られた伝統・歴史が、その後の薩長によって創られた軍や官僚システムの中からできあがった権力によって、当初よりもいっそう突出した既成事実の権威を持って暴走した。
薩長は潜在的に権威を維持しながら、表舞台から裏側に回ったという印象である。
その最たるものが近代天皇であるが、この書ではいかに伊藤博文が明治天皇を信頼していなかったかがよく分かる。
明治天皇は長州によって捏造されたとまで言われるのが分かるような気もする。

たぶん、多くの読者はタイトルだけで敬遠してしまいそうなので、この書を立ち読みでも良いから手にとって、章立てに拘らずに呼んで貰いたいと思う。
私が以前から研究してきた、教育史や家族史なども分かりやすく概観してくれている。
硬そうな岩波新書を読んでいながら、思わず吹き出してしまうことで愉快に感じるのではないかと思う。
高校の日本史を受験のために字面だけ勉強しただけでは、面白みのないこの時代を、面白く描いてくれているお勧めの書である。

目次
民権と憲法
シリーズ日本近現代史②岩波新書(新赤版)1043
2006年12月20日第1刷発行


著者牧原憲夫【まきはらのりお】
発行者山口昭男
発行所株式会社岩波書店

   目 次

 はじめに

第1章 自由民権運動と民衆…・
   1 竹橋事件と立志社建白書  2
   2 県議会から国会開設へ  8
   3 国民主義の両義性  18


第2章 「憲法と議会」をめぐる攻防:…・     ………・31
   1 対立と混迷  32
   2 明治一四年政変  38
   3 自由民権運動の浸透と衰退  30

第3章 自由主義経済と民衆の生活…          :59
   1 松方財政と産業の発展  60
   2 強者の自由と「仁政」要求  70
   3 合理主義の二面性  80

第4章 内国植民地と「脱亜」への道      ・…:93
   1 「文明」と 「囲い込み」 の論理  94
   2 琉球王国の併合  106
   3 朝鮮・中国と日本  112

第5章 学校教育と家族…・             …127
   1一八八〇年代の学校教育  128
   2 森有礼の国民主義教育 134
   3 近代家族と女性  147

第6章 近代天皇制の成立…            …159
   1 近代的国家機構の整備  160
   2 民衆と天皇  174
   3 帝国憲法体制の成立  188

 おわりに・                   :201

  あとがき 207

  参考文献
  略年表
   索 引



2012年7月31日火曜日

『翻訳の政治学』  與那覇潤

このところ、批評家東浩紀が草案した憲法論議について、今朝(2012/07/31)の朝日新聞で大きく取り上げられていたが、先週の朝まで生テレビでも少し見た。
東は東北の震災で「日本」というものがなくなることをおそれたというが、テレビでの討論でも日本とか民族という言葉をきちっと検証していなかった。
グローバライズされた今の日本での企業の生き残り戦略は、既に日本の国家の域を出ているのに、マスコミに接近している知識人たちは、国家に固執し続けていた。
そういえば、最近マスコミも中国の軍事的な台頭に対抗するための日米同盟という論調が多いが、日中関係の長い歴史や日中戦争時の複雑な構図を考えれば、旧ソ連や現ロシアと同じ仮想敵国とすべきではないことはわかるはずだ。
アメリカのアジア戦略に同調せねばならない事情はあるにしても、日中関係を悪化させる論調はどうかと思う。
こんなことを思いながら、思い出したのがこの本である。

冷戦終結後、国境を超えて活動するグローバルな非国家主体の増加と、それによる(先進)国家間での相互依存の緊密化を、個人の帰属や君臣関係が境界を超えて複合化していた中世封建ヨーロッパ的な世界の再来と見る「新しい中世」論(neomedievalism)が、主に国際政治学で盛んになったが〔ex.田中1996[2003]:Chap.7]、サイバースペース上の空間分割に代表されるような諸現象から考察して、先述の山下範久〔2002:72-90〕は、現在のグローバル化はむしろ「新しい近世」の段階に入っているという、刺激的な洞察を行っている。アーキテクチャの設計次第で人々がアクセスする「世界」の範囲を自在に切り分けることができる、IT技術の増殖が典型的に示しているように〔Lessig1999=2001:Chap.7)、今日はあたかもかつての近世東アジア諸国がそうであった如く、複数の「世界」がその認識を相互に交渉させることなく、並存する時代になっているのではないかというのである〔山下2003:230-235]。本書の視点から再解釈すれば、もともと西洋起源のきわめて特殊で、なおかつ脆弱な存在であった「近代」という装置の幻想性が明白になるにつれて、実は人間社会がその根幹においては近世以来の段階に留まっていたことが次第に露呈し、メディアやプラットフォームもそちらにあわせて整備されるようになってきているということになる。いわば「新しい」近世というよりは、今一度の近世への「回帰」である。[256-257]

日本の近代化に翻弄された沖縄を考えるに際して、與那覇は近代化を相対化して考えようとしている。あらゆる面で「国民国家」の破綻は現実化しており、国民国家こそ総力戦のための体制だったこともわかっている現在では、歴史を遡るというのではなくて、脱近代化、脱国民国家の思想が必要であろう。
中国の父兄親族集団は国家を当てにできない時代に誕生した。そもそも漢民族などはいい加減に拡大する民族である。
これも日本も同じで名乗りさえしなければ、風貌で分からない在日外国人は日本名の通称で生きていけるのと、さほど変わりはないだろう。
国家が破綻することを危惧するよりも、経済的にも相互扶助としても自律できない、個人、家族、親族、村落共同体を真剣に考えるべきだと思う。
国家が機能しなくなった無縁社会の克服が何よりも急務だと思う。右傾化する人はそのために仮想敵国をつくって、戦時体制をもう一度再構築しようというのだろうか?

翻訳の政治学―近代東アジア世界の形成と日琉関係の変容
2009年12月18日 第1刷発行

著 者 與那覇潤【よなはじゅん】
発行者 山口昭男
発行所 株式会社岩波書店

目次

序論 「同じであること」と翻訳の政治       一
1 同一性と翻訳           二
(1)同一性の哲学史         二
(2)価翻訳の哲学史              四
(3)翻訳の社会学     八
(4)翻訳の政治学        一二
(5)翻訳の制度論              三
2 東アジアの近代と翻訳                一六
(1)東アジア的近代論の混乱      一六
(2)国民国家論の誤謬     一七
(3)漢文脈と近世外交      二〇
(4)長い近代と短い近代               二三
(5)本書の構成          二六
3 日琉関係の翻訳―維新以前     二七
    (1)近世期:   二七
(2)幕末期:        三〇
第Ⅰ部 「人種問題」前夜- 「琉球処分」期の東アジア国際秩序       三五
第一章 外交の翻訳論―FHバルフォアと一九世紀末東アジア英語言論圏の成立::四〇
1 東アジアの近代と「西洋の衝撃」再考     四〇
2 明治初年の日琉関係::            四三
(1)「琉球処分」以前:     四三
(2)「琉球処分」以降                       四五
3 フレドリックヘンリーバルフォアー知られざる日本公使館員: 四七
4 「世界ノ公論」の争奪-英字新聞上の日中間象徴闘争   ‥五〇
5 翻訳という齟齬1言説空間の乖離と秩序観の未統一     五四
(1)バルフォア自身の琉球論=              五四
(2)領土観の齟齬               :.五六
(3)人種論の齟齬:            五九
6 小 結―東アジア英字新聞における翻訳と公共隼    六一
(1)英語言論圏の形成とその意義          六一
(2)今日的含意              六四
第二章 国境の翻訳論―「琉球処分」は人種問題か、日本琉球中国西洋  六九
1 「琉球処分」と「民族問題」の不在        六九
(1)ナショナリズム論の袋小路  六九
(2)琉球処分は民族問題か?                  =七一
(3)言説と文脈、「人種」と「民族」        =.七三
2 一九世紀における近代国際秩序と人種論の位相:    : 七四
(1)『万国公法』           七四
(2) ペリー艦隊民族誌     七六
(3)大槻文彦の翻訳            七八
(4)松田道之二打の併合正当化論       七九
(5)人種概念と古代史の不在                  八〇
3 人種論の交錯と乖離-グラント調停交渉における翻訳  八二
(1)中国でのグラント       八二
(2)明治政府の外交準備           八五
(3)日本でのグラント          八八
(4)横浜英字新聞での人種論争  八九
(5)明治政府の反論    九三
4 東アジア世界の論理と琉球帰属問題  九五
(1)持続する中華世界秩序                  九五
(2)同文同種論の位相‥          九九
(3)人種言説の存在と非活用一〇二
5 小 結― ナショナリズムの制度論に向けて 一〇四
間章α 国民の翻訳論 ― 日本内地の言説変容     一一〇
1 血統の翻訳論 - 「誤った自画像」をめぐって          一一〇
2 家族の翻訳論- 「家」の「血」への翻訳        一一三
(1)民法典編纂以前            一一三
(2)民法典論争        一一四
(3)穂積八束              一一六
3 人種の翻訳論― 「人種」のRaceへの翻訳 一二〇
(1)「人類学」以前    一二〇
(2)「人類学」以降                  一二二
4 文化の翻訳論 ― Culture\Kulturの「文化」への翻訳=一二五
(1)明治期                  一二五
(2)大正期                 一二七
5 中間総括―翻訳、媒介、ネットワーク           一三二
第Ⅱ部 「民族統一」以降― 「沖縄人」が「日本人」になるとき   一三九(076)
第三章 統合の翻訳論― 「日琉同祖論」の成立と二〇世紀型秩序への転換:  :一四五
1 歴史という劇場と演技と一四五
2 近 世―向象賢建議と為朝伝説          一四八
(1)向象賢建議    一四八
(2)源為朝渡琉伝説                一五〇
3一九世紀まで ―日本内地の史料研究状況   一五一
(1)松田道之の神話批判              一五一
(2)明治政府の史料政策-同祖論の「発見」と非活用        一五三
(3)一九世紀末の内地歴史学界 一五五
(4)民族化の端緒? -同化教育という現場  一五七
4 二〇世紀への転換-内地アカデミズムの変容 一六一
(1)土俗研究の始まり    一六一
(2)神話学の誕生=        一六二
(3)高橋龍雄の琉球神話論      一六四
5 琉球弧の二〇世紀―書き換わる歴史認識 二ハ七
(1)伊波普猷の登場             一六七
(2)東恩納寛惇と為朝伝説論争一七三
(3)民族統一論の定着       一七七
6 小 結―民族とはなんであったか    一七八
(1)公定ナショナリズム論の誤謬       一七八
(2)民族とロマン主義、そして国家    一八〇
(3)民族概念の利益とコスト        一八二
(4)二民族を超えるもの  一八四
第四章 革命の翻訳論― 沖縄青年層の見た辛亥革命と大正政変一九〇
1 「日本人になること」と「中華世界からの離脱」  一九〇
(1)「日清戦争分水嶺説」の成果と課題    一九〇
(2)ポストコロニアリズムと反復する伊波史観      =一九二
(3)中国史への再接合と翻訳(論)の可能性  一九四
2 第一革命期の『琉球新報』~古典的中国観と傍観論  一九六
3 第一革命期の『沖縄毎日新聞』~「革命」への没入とその挫折  二〇一
4 第二革命期の『琉球新報』~中国観の転換と衆愚政治への警鐘   二〇四
(1)漢籍から文明史へ            二〇四
(2)デモクラシーとポピュリズムの狭間で      二〇七
5 第二革命期の『沖縄毎日新聞』―革命「からの」投金への反転二〇八
(1)革命未だ止まず=二〇八
(2)新理想主義の方へ            二一〇
(3)理想への同化に賭けて              二一五
6 小 結―帝国日本という舞台           二一七
間章β 帝国の翻訳論―伊波普猷と李光洙、もしくは国家と民族のあいだ:二二三
1 琉球弧と朝鮮、二つの「植民地公共性」二二三
(1)「植民地公共性」の比較?        二二三
(2)伊波普猷と李光洙        二二五
2 二〇世紀東アジアにおける民族と国家   二二八
(1)国家から民族へ                 二二八
(2)「民族主義」の流入と受容  二三〇
(3)「真正さの体制」と民族のゆくえ         二三二
3 帝国を翻訳する         二三五
(1)大正期沖縄県紙の見たアメリカ          二三五
(2)帝国への抵抗と、翻訳と              二三七
結論 翻訳の哲学と歴史の倫理   二四三
1 近 代               二四六
(1)翻訳は不幸を生むか:          二四六
(2)近代の認識論と翻訳     二四九
(3)最初からポストモダンだった近代    二五二
2 現  代=                二五四
(1)持続する近世外交?      二五四
(2)再近世化と「新しくない」レイシズム       二五七
(3)翻訳不可能性再考                二五九
(4)近代と翻訳の意義                二六四
3 「ポスト近代」            二七〇
(1)理念なき国家日本?          二七〇
(2)帝国論の不毛を超えて          二七三
(3)中国化した世界?    二七五
参照文献              二八三
1一次史料                   二八三
2 二次文献                    二八九
あとがき                     三一一

2012年7月25日水曜日

柳田の経世済民の志はどこにいったのか    谷川健一

柳田国男に関しては色々と評されているが、この対談の中で柳田を貴族と言って憚らないことに何か違和感を非常に感じた。
確かに高等官僚だった柳田の振る舞いは、そのように評されても仕方ないのかも知れないが、生い立ちを考えれば成り上がり者が権威を持ったと評した方が良いのではないかと思う。
私はかねてより、播磨地方のあれだけ塩田労働者や、皮革業等の非常民が多く住む地方に生まれながら、農民に拘っていたのか疑問だったが、成り上がり者は生い立ちを隠したかったからではないかと思うようになった。

それは薩長の成り上がり者にも共通したところもあるだろう。
私は奄美研究の延長上に島津藩の歴史や民俗を調べたが、琉球諸島に引けを取らない独自の社会文化が見いだされた。
学会やインテリ達が構築した日本という国家の記述すべき文脈から、権威者の国元の社会文化は避けられた。
だから、彼を貴族と称するのは皮肉でしかないと思う。

*目次は前回のブログに掲載

2012年7月24日火曜日

同時多発テロと戦後日本ナショナリズム    島田雅彦

対話の回路―小熊英二対談集

初版第1刷発行 2005年7月29日
著 者 小熊英二・村上 龍・島田雅彦・
網野幸彦・谷川健一・赤坂憲雄・
上野千鶴子・姜 尚中・今沢 裕
発行者 堀江 洪
発行所 株式会社 新曜社


「日本」からのエクソダス           村上 龍 7


同時多発テロと戦後日本ナショナリズム    島田雅彦 69


**

人類史的転換期における歴史学と日本     網野善彦 123


柳田の経世済民の志はどこにいったのか    谷川健一201


〈有色の帝国〉 のアジア認識         赤坂意雄 249
- 柳田思想の水脈と可能性

***
戦後思想の巨大なタペストリー       上野千鶴子 285
- 『(民主)と(愛国)』をめぐって


ナショナリズムをめぐって           姜 尚中 311


****

秘密の喫茶店                 今沢 裕 329


あとがき                     小熊英二 386

このところオスプレイをめぐって対米関係がマスコミで取り上げられることが多いが、おそらく政治家も国民もアメリカの横暴に対して真剣に立ち向かう気もないだろう。アメリカの対中国戦略としてのオスプレイ投入を、尖閣列島に関する日本の対中関係とリンクさせる人もいると思う。島田雅彦が述べるアメリカやイギリスの東アジアにおける戦略の一環でもあるが、アジアの台頭を封じ込めるには日中関係に楔を打つ必要がある。アジアにおける冷戦の継続(北朝鮮問題等)こそ、アメリカの国益にそうものであることは誰しも分かっていながら、アメリカに追随した方が日本の国益にかなってきたという事実も否めない。
冷徹なアメリカの戦略をこの作品は分かりやすく解説してくれている。マスコミではオスプレイ導入の怒りの矛先をアメリカではなく、政府に向けている場面を繰り返し報道しているが、マスコミ自体アメリカを怖れていることは目に見えている。ただ、原発問題が以前とは違う市民運動になったように、基地問題が市民運動になる機会でもあるので、日本のこれからのアジアにおける戦略も踏まえて、しっかり考えるべきだろう。それにはこのようなこの書のような解説をしっかり読んでおく必要もあると思う。

2012年6月30日土曜日

川村湊「「作文」の帝国―近代日本の文化帝国主義の一様相」

私は奄美における歴史認識に関して様々な文献にあたっていた。
 この川村湊の作品は根底から自分の論展開を変更する必要を感じざるを得なかった。

・・・「武」は帝国を統一する原理ではあっても、帝国を統治する原理ではありえなかった。大王アパルはその帝国の支配原理としての「文字」と「文」、すなわち「歴史」をわがものにしようとしていたのである。・・・

これは中島敦の『文字禍【もじか】』という小説の一節の解釈であるが、琉球、北海道という内国植民地と他の台湾、朝鮮等の植民地との違いの一つとして、歴史を手に入れられたかどうかにも有ることに気がついた。
確かに高校の日本史の教科書には琉球や北海道のことには触れられている。しかし、多くは政治史であり、国家史である。必修科目から外されているにしろ、日本史は歴史を奪われた琉球諸島や北海道に明治維新前から住み続けていた多くの人々にとっては、支配原理に基づく歴史でしかない。つまり、戦後も歴史支配されたまま居続けているのが内国植民地である。
琉球王国の歴史さえ標準語に基づく文字で書かれているのであるから、いくら同じく「かな」の文化を共通に持っているにしろ、文字によって支配されていることに変わりはないだろう。かくいう自分も民俗誌はそれに基づいて書いているのだから、同じ穴の狢である。
ただ、東北やその他の周縁部の地や朝敵だった播磨のような地域は歴史を得ているのかというと、そうとも言い切れないが、一時にせよ日本史の中で国家の中枢に関わる歴史に参加した記述がなされていることに違いはあるだろう。

そういう観点に立てば明治維新を成功させた薩長を中心とした政権は、歴史を支配できたのか検証する必要が当然あるだろう。
奇しくも播磨出身の柳田国男が民俗学を国家の文化的統合に利用したことは『南島イデオロギーの発生- 柳田国男と植民地主義』  村井 紀 1992  福武書店によって指摘されている。
歴史そのものとしては〝狡兎死して走狗烹【に】らる″と鹿児島県史の大家原口虎雄の薩摩への評価は、歴史を支配できず、軍部や警察のみに支配力を維持したが、結果的にそれさえも失った(潜在的には維持)ことへの酷評だったのかも知れない。
奄美はそういう意味で琉球王国の歴史支配と薩摩の歴史支配の狭間の中で、それらが日本国家史支配の不備から、ますます存在を無視され、見失われた歴史を持つ地域と言うべきかも知れない。

ナショナリティの脱構築
1996年2月25日第1刷発行
1997年5月26日第2刷発行
[編者]酒井直樹
ブレット・ドバリー
伊豫谷登土翁
[発行者]渡邊周一
[発行所]柏書房株式会社
目次


編集方針について 3

序論 ナショナリティと母(国)語の政治 9
酒井直樹

第一部 ナショナリズムとコロニアリズム
熱帯科学と植民地主義「島民」をめぐる差異の分析学 57
冨山一郎

有色の植民帝国 一九二〇年前後の日系移民排斥と朝鮮統治論  81
小熊英二

「作文」の帝国 近代日本の文化帝国主義の一様相 105
川村湊

脱オリエンタリズムの思考 137
姜尚中

第二部 表象としてのナショナリティ
「女の物語」という制度 161
平田由美

「暗愚な戦争」という記憶の意味 高村光太郎の場合 183
中野敏男

丸山真男の「日本」 205
葛西弘隆

第三部 ナショナリティの現在

「国民」を語る文体 家または本来的であることの掟 233
長原豊

近代世界システムと周辺部国家 267
伊豫谷登士翁

日本バッシングの時代における日本研究 287
プレット・ド・バリー

人名索引 314

2012年6月8日金曜日

総力戦と現代化

パルマケイア叢書4
総力戦と現代化
 1995年11月25日第1刷発行

        [編者]山之内靖
       ヴイクター・コシュマン
            成田龍一

        [発行者]渡邊周一
     [発行所]柏書房株式会社


    編集方針について 3

  方法的序論総力戦とシステム統合                      9
  山之内靖

第一部 総力戦と構造変革

  ナチズムと近代化 ドイツにおける最近の討論              57
     ミヒャエル・プリンツ

  戦争行為と国家の変容 第二次世界大戦にあける日本とアメリカ     …・79
  グレコリー・フックス/レイモンド・A・ジュソームJr.

第二部 総力戦と思想形成

  規律的規範としての資本主義の精神 大塚久雄の戦後思想        -119
  ヴィクター・コシュマン

  「市民社会」論と戦時動員 内田義藤の思想形成をめぐって-        141
  杉山光信

  母の国の女たち 奥むめあの〈戦時〉と〈戦後〉              163
  成田龍一

  ポイエーシス的メタ主体の欲望 三木清の技術哲学            185
  岩崎稔

  教育にあける戦前・戦時・戦後  阿部重孝の思想と行動         211
  大内裕和

第三部 総力戦と社会統合

  既成勢力の自己革新とグライヒ,キルトゥング 総力戦体制と中間層      239
   雨宮昭一

  日本の戦時経済と政府-企業間関係の発展         267
  岡崎啓二

  産業報国会の歴史的位置総力戦体制と日本の労使関係         287
   佐口和郎
 
 総力戦体制と思想戦の言説空間           313
   佐藤卓己
  人名索引 341

正直全ては読めなかった。ヴィクター・コシュマンの論文まで読んで断念した。それでも、漠然と描いていた「戦争が近代社会を創り上げた」ということが理解できてきたように思う。

これまで、社会学などでは避けられてきた戦争や戦時体制 これこそ近代の根底をなすものであることを、我々は再認識すべきだと改めて思う。

毎年出る3万人の自殺者の多くは、第二の敗戦の戦死者なのかも知れない。
現代進む経済格差、官僚や財界への不信、そして平成維新
まさしく、選挙による合法クーデターがポピュリズムによって起こりつつある。
アメリカの国家統制の強い、戦時体制と歩調を合わせれば当然の成り行きだから仕方ない?

戦前の日本は軍国主義で財界もいいなりというイメージは間違いであったことと、大正デモクラシーの頃から恵まれない軍人に有能な人物が集まらなかったことと合致する。
そうすると、自衛隊の武官の処遇をよくしないと戦前の日本と同じになると言うことか?

平和で美しい日本の着物を脱ぎ捨てて、鎧を露わにすべきなのか。
露わにしない戦略こそ 生き延びる戦略ではないのかと
考えさせられるおすすめの本である。

2012年4月8日日曜日

名越護2006『奄美の債務奴隷ヤンチユ』南方新社

目次
  プロローグ
父の自分史 17
「奄美宇検相生勝の検地帳」目につく 19
三分の二は他【よそ】ジマの耕作地 20
   人口の落ち込みは天然痘の影響? 22
 「相互扶助」で支え合う 23
  生勝は「蔵戸村」か? 25
悲恋の伝説・カンティミ 27

  第一章 ヤンチュのルーツ

古代のヤッコ由来 35
奄美五島を直轄地に 39
「大島置目条々」によるヤンチュ規制 43
サトウキビの伝来 45
換糖上納制始まる 48
調所の「天保の改革」 52
   銑製の黍絞り機を発明した柏有度 55
  貨幣の流通を停止 58
  年々減らされる給米 65
  ヤンチュに転落する島民  67
  百五十斤の砂糖で身売り  69
  ヤンチュ札  70
   潰れ村続出  74

   第二章 ヤンチュの日常

維新前後のヤンチュ数 81
ヤンチュの社会的地位 85
ヤンチュの呼称 87
ヤンチュの住居 88
ヤンチュの食生活 91
ヤンチュに転落した?豪農 94
ヤンチュの労働 98
ヤンチュの性生活 101

  第三章 豊かな衆達【しゆうた】層

初の郷士格賜った田畑佐文仁 105
砂糖四十万斤を献上した芝好徳 108
   郷士格を連発 110
   なぜ一字姓? 114
   与人上国制でも収奪 115
   越訴・直訴を奨励 121
   文仁演崩れ 123
   国淳の切腹事件 125
   百姓の味方・稲源 128
   大東島を発見した当済  129
   伊家のこと 133
   ヤンチュの 「売証文」  137
斉彬の藩主就任の功罪 145
沖永良部島のニザ  147

  第四章 島民の抵抗
栄文仁の脱島 153
大島への脱島も頻繁 155
佐衛員の主人ら殺傷事件 159
母間騒動 162
  犬目布騒動 166
「徳田崩れ」とヤンチュ 171
「猿化騒動」起こる 174
奄美の〝英雄〝ャチャ坊伝説 178
反骨精神で開いた奄美市崎原集落  183
「ケンムン」は反骨精神の象徴  182
ウラトミ伝説 186
役人を退散させた鶴松 191

  第五章 ヤンチュそれぞれ

遠州まで漂流したヤンチュ二人  195
ヤンチュの墓 197

奄美最後の死刑 201
いまも現れる?イマジョの亡霊 206
ヤンチュを愛した?鍋加那 212
ニザの生き埋め事件 216
ヤンチュを書いた小説 219
母妹を身請けした池野喜美益 223
民話「ヤンチユの夢」 226
ヤンチユの心中 232

  第六章 周辺地区の隷属民

岩手の名子と日向の人買い船 233
鹿児島本土のデカン・メロ 237
沖縄本島の「ンザ」 240
宮古島の名子【なぐ】243

  第七章 苦難の解放運動
土持政照と西郷 247
西郷隆盛の奄美観 249
「大島商社」の横暴に立ち上がった丸田南里 254
ヤンチュ解放運動 262
ヤンチュ解放に尽力した伊地知清左衛門 266
沖永良部島での解放運動 268
衆達の解放反対運動 270
最後?のヤンチュ 274
口之津に移住した「ンダ」 275
砂糖菓子と島の生活 279

薩摩藩の黒糖支配とヤンチュ関連の年表 285
あとがき 291
主な参考文献 296



コメント
特に第二章は金久 好 1963  「第一編 奄美大島に於ける「家人」の研究」 名瀬市史編纂委員会編  『名瀬市史第二集』  pp.1-40の焼き直し的な内容だが、地元の研究者が避けたがる研究に踏み込んでいった価値は高いと思う。本当は古老からもっと経験談を聞いて、簡単なライフヒストリーを造り上げるくらいして欲しかった。というのも私たち外部者には立ち入れない内容も多いからである。

2012年3月31日土曜日

『日本の時代史18 琉球・沖縄史の世界』

日本の時代史18 琉球・沖縄史の世界
二〇〇三年(平成十五)十一月二十日 第一刷発行
編 者 豊見山和行【とみやまかずゆき】
発行者 林 英男
発行所 吉川弘文館

目次

琉球・沖縄史の世界  豊見山和行 7

一 新たな琉球・沖縄史像の模索 8
二 古琉球史の論点 18
1 内と外からの琉球化 18
2 古琉球の統治形態とヒトの流動性 36
三 近世琉球の対外関係 48
1 近世の琉球王国をめぐる諸問題 48
2 対幕府関係と対中国関係に見る琉球国の特徴 57
四 近世琉球社会の特徴と諸論点 67
1 国内史の推移と近世社会の諸特徴 67
2 純化された近世琉球入 73
3 「上からの農業化」 の問題 76
むすびにかえて 琉球・沖縄史における「民族統一」とは 81

Ⅰ 琉球王国の形成と東アジア
安里 進 84
はじめに 84
  一  四つの論点 84
二 二つの琉球と東アジア 89
三 交易社会の発達 94
四 グスク文化の形成と東アジア交易圏 100
五 大型グスクの出現と初期中山王国 105
六 初期中山王国の成立 109
結  び 113

Ⅱ 琉球貿易の構造と流通ネットワーク……………・真栄平房昭 116
  一  銀でつながれた世界 116
二 海賊の時代 125
三 貿易経営をめぐる諸問題 128
四 貿易経営と琉球館 136
五 清代の「洋銀」流通 141
六 国境を超えたモノの流通構造 薬種・昆布・鰹節 152

Ⅲ 自立への模索…………………………・………………………田名真之 167
一 王府の官僚システム 168
二 琉球的身分制の成立 177
三 史書の編集 184
四 琉球文化の成熟 290

Ⅳ 伝統社会のなかの女性……………・………………………………………:196
一  祭祀(神歌・儀礼・のろ制度)と文学のなかの女性……池宮正冶 196
二 貢納される布と女性たち…………………………………・小野まき子 214

Ⅴ 王国の消滅と沖縄の近代………………………………・赤嶺 守 232
一 明治維新と琉球王国 232
二 強行併合と旧藩士族の抵抗 241
三 明治政府の沖縄統治政策 253
四 東アジア社会の変容と近代沖縄社会の胎動 259

Ⅵ 世界市場に夢想される帝国 「ソテツ地獄」の痕跡 冨山一郎 267
はじめに 「流民としての歴史」 267
  一  生き延びるということ 「ソテツ地獄」 269
二 破局の予兆 自由 272
三 帝国の夢 世界市場 278
四 生き延びる者たち 286


あとがき 289
参考文献 291
関連年表 12
図版目録 9

索   引 2

若干のコメント
少し古い文献で、2004年に山川出版社から『沖縄県の歴史 県史47』も出版されているが、それと合わせて読むと分かりやすい。文化人類学を専門とする者からは、もう少しノロについての詳しい記述が欲しかった。小野まき子の八重山・宮古などの御用布を織る女性に関する

・・・女性たちの未婚化・晩婚化、さらには出産をしない、また子供が産まれても間引くという現象の多いことが書かれる。王府は、それを阻止しようと、結婚の奨励や間引の禁止を出すのだが、あまり効果をあげていない。

という記述は、「間引き」を「堕胎」とか「間引きの禁止」を「出産奨励」と置き換えれば、現代の日本社会に共通するものを感じてしまうのは私だけだろうか?薩摩藩による植民地支配だけがクローズアップされがちだが、琉球王国による半ば植民地支配にも目を転じるべきことが分かった。

真栄平房昭の「琉球貿易の構造と流通ネットワーク」は、今まで島嶼部の孤立していたイメージとだいぶ違うことがよく分かった。ただ、日本本土での庶民の流通ネットワークが報告されている点から考えると、商人以外の庶民の様子の記述も欲しかった。

田名真之の 「自立への模索」は、琉球的身分制の中で人身売買された「インジャ」のことや、糸満売り(イチマンウイ) のことが、触れられていなくて、中世の倭寇の交易に重要な奴隷や、役人に付けられた隷属下人などにももっと触れて欲しかった。奄美大島では江戸後期には村人の三割近くがヤンチュと言われる債務奴隷に陥っており、沖縄に売られた奄美の人に関しても、戦前まで行われていたことが分かっている。 真栄平房昭も「砂糖をめぐる世界史と地域史」『日本の対外関係6 近世的世界の成熟』吉川弘文館(2010)で植民地と奴隷問題を琉球にも当てはめて考えようとしていることと対照的である。

それにしても、冨山一郎の文章はよく分からない。途中で読むのを止めてしまった。冨山一郎 1990 『近代日本社会と沖縄人』 日本経済評論社は大変すばらしい研究成果が発表されたと思っていたが、このところの冨山の文章は抽象的な用語を用いて私には理解不能である。