私は奄美における歴史認識に関して様々な文献にあたっていた。
この川村湊の作品は根底から自分の論展開を変更する必要を感じざるを得なかった。
・・・「武」は帝国を統一する原理ではあっても、帝国を統治する原理ではありえなかった。大王アパルはその帝国の支配原理としての「文字」と「文」、すなわち「歴史」をわがものにしようとしていたのである。・・・
これは中島敦の『文字禍【もじか】』という小説の一節の解釈であるが、琉球、北海道という内国植民地と他の台湾、朝鮮等の植民地との違いの一つとして、歴史を手に入れられたかどうかにも有ることに気がついた。
確かに高校の日本史の教科書には琉球や北海道のことには触れられている。しかし、多くは政治史であり、国家史である。必修科目から外されているにしろ、日本史は歴史を奪われた琉球諸島や北海道に明治維新前から住み続けていた多くの人々にとっては、支配原理に基づく歴史でしかない。つまり、戦後も歴史支配されたまま居続けているのが内国植民地である。
琉球王国の歴史さえ標準語に基づく文字で書かれているのであるから、いくら同じく「かな」の文化を共通に持っているにしろ、文字によって支配されていることに変わりはないだろう。かくいう自分も民俗誌はそれに基づいて書いているのだから、同じ穴の狢である。
ただ、東北やその他の周縁部の地や朝敵だった播磨のような地域は歴史を得ているのかというと、そうとも言い切れないが、一時にせよ日本史の中で国家の中枢に関わる歴史に参加した記述がなされていることに違いはあるだろう。
そういう観点に立てば明治維新を成功させた薩長を中心とした政権は、歴史を支配できたのか検証する必要が当然あるだろう。
奇しくも播磨出身の柳田国男が民俗学を国家の文化的統合に利用したことは『南島イデオロギーの発生- 柳田国男と植民地主義』 村井 紀 1992 福武書店によって指摘されている。
歴史そのものとしては〝狡兎死して走狗烹【に】らる″と鹿児島県史の大家原口虎雄の薩摩への評価は、歴史を支配できず、軍部や警察のみに支配力を維持したが、結果的にそれさえも失った(潜在的には維持)ことへの酷評だったのかも知れない。
奄美はそういう意味で琉球王国の歴史支配と薩摩の歴史支配の狭間の中で、それらが日本国家史支配の不備から、ますます存在を無視され、見失われた歴史を持つ地域と言うべきかも知れない。
ナショナリティの脱構築
1996年2月25日第1刷発行
1997年5月26日第2刷発行
[編者]酒井直樹
ブレット・ドバリー
伊豫谷登土翁
[発行者]渡邊周一
[発行所]柏書房株式会社
目次
編集方針について 3
序論 ナショナリティと母(国)語の政治 9
酒井直樹
第一部 ナショナリズムとコロニアリズム
熱帯科学と植民地主義「島民」をめぐる差異の分析学 57
冨山一郎
有色の植民帝国 一九二〇年前後の日系移民排斥と朝鮮統治論 81
小熊英二
「作文」の帝国 近代日本の文化帝国主義の一様相 105
川村湊
脱オリエンタリズムの思考 137
姜尚中
第二部 表象としてのナショナリティ
「女の物語」という制度 161
平田由美
「暗愚な戦争」という記憶の意味 高村光太郎の場合 183
中野敏男
丸山真男の「日本」 205
葛西弘隆
第三部 ナショナリティの現在
「国民」を語る文体 家または本来的であることの掟 233
長原豊
近代世界システムと周辺部国家 267
伊豫谷登士翁
日本バッシングの時代における日本研究 287
プレット・ド・バリー
人名索引 314
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