2012年6月30日土曜日

川村湊「「作文」の帝国―近代日本の文化帝国主義の一様相」

私は奄美における歴史認識に関して様々な文献にあたっていた。
 この川村湊の作品は根底から自分の論展開を変更する必要を感じざるを得なかった。

・・・「武」は帝国を統一する原理ではあっても、帝国を統治する原理ではありえなかった。大王アパルはその帝国の支配原理としての「文字」と「文」、すなわち「歴史」をわがものにしようとしていたのである。・・・

これは中島敦の『文字禍【もじか】』という小説の一節の解釈であるが、琉球、北海道という内国植民地と他の台湾、朝鮮等の植民地との違いの一つとして、歴史を手に入れられたかどうかにも有ることに気がついた。
確かに高校の日本史の教科書には琉球や北海道のことには触れられている。しかし、多くは政治史であり、国家史である。必修科目から外されているにしろ、日本史は歴史を奪われた琉球諸島や北海道に明治維新前から住み続けていた多くの人々にとっては、支配原理に基づく歴史でしかない。つまり、戦後も歴史支配されたまま居続けているのが内国植民地である。
琉球王国の歴史さえ標準語に基づく文字で書かれているのであるから、いくら同じく「かな」の文化を共通に持っているにしろ、文字によって支配されていることに変わりはないだろう。かくいう自分も民俗誌はそれに基づいて書いているのだから、同じ穴の狢である。
ただ、東北やその他の周縁部の地や朝敵だった播磨のような地域は歴史を得ているのかというと、そうとも言い切れないが、一時にせよ日本史の中で国家の中枢に関わる歴史に参加した記述がなされていることに違いはあるだろう。

そういう観点に立てば明治維新を成功させた薩長を中心とした政権は、歴史を支配できたのか検証する必要が当然あるだろう。
奇しくも播磨出身の柳田国男が民俗学を国家の文化的統合に利用したことは『南島イデオロギーの発生- 柳田国男と植民地主義』  村井 紀 1992  福武書店によって指摘されている。
歴史そのものとしては〝狡兎死して走狗烹【に】らる″と鹿児島県史の大家原口虎雄の薩摩への評価は、歴史を支配できず、軍部や警察のみに支配力を維持したが、結果的にそれさえも失った(潜在的には維持)ことへの酷評だったのかも知れない。
奄美はそういう意味で琉球王国の歴史支配と薩摩の歴史支配の狭間の中で、それらが日本国家史支配の不備から、ますます存在を無視され、見失われた歴史を持つ地域と言うべきかも知れない。

ナショナリティの脱構築
1996年2月25日第1刷発行
1997年5月26日第2刷発行
[編者]酒井直樹
ブレット・ドバリー
伊豫谷登土翁
[発行者]渡邊周一
[発行所]柏書房株式会社
目次


編集方針について 3

序論 ナショナリティと母(国)語の政治 9
酒井直樹

第一部 ナショナリズムとコロニアリズム
熱帯科学と植民地主義「島民」をめぐる差異の分析学 57
冨山一郎

有色の植民帝国 一九二〇年前後の日系移民排斥と朝鮮統治論  81
小熊英二

「作文」の帝国 近代日本の文化帝国主義の一様相 105
川村湊

脱オリエンタリズムの思考 137
姜尚中

第二部 表象としてのナショナリティ
「女の物語」という制度 161
平田由美

「暗愚な戦争」という記憶の意味 高村光太郎の場合 183
中野敏男

丸山真男の「日本」 205
葛西弘隆

第三部 ナショナリティの現在

「国民」を語る文体 家または本来的であることの掟 233
長原豊

近代世界システムと周辺部国家 267
伊豫谷登士翁

日本バッシングの時代における日本研究 287
プレット・ド・バリー

人名索引 314

2012年6月8日金曜日

総力戦と現代化

パルマケイア叢書4
総力戦と現代化
 1995年11月25日第1刷発行

        [編者]山之内靖
       ヴイクター・コシュマン
            成田龍一

        [発行者]渡邊周一
     [発行所]柏書房株式会社


    編集方針について 3

  方法的序論総力戦とシステム統合                      9
  山之内靖

第一部 総力戦と構造変革

  ナチズムと近代化 ドイツにおける最近の討論              57
     ミヒャエル・プリンツ

  戦争行為と国家の変容 第二次世界大戦にあける日本とアメリカ     …・79
  グレコリー・フックス/レイモンド・A・ジュソームJr.

第二部 総力戦と思想形成

  規律的規範としての資本主義の精神 大塚久雄の戦後思想        -119
  ヴィクター・コシュマン

  「市民社会」論と戦時動員 内田義藤の思想形成をめぐって-        141
  杉山光信

  母の国の女たち 奥むめあの〈戦時〉と〈戦後〉              163
  成田龍一

  ポイエーシス的メタ主体の欲望 三木清の技術哲学            185
  岩崎稔

  教育にあける戦前・戦時・戦後  阿部重孝の思想と行動         211
  大内裕和

第三部 総力戦と社会統合

  既成勢力の自己革新とグライヒ,キルトゥング 総力戦体制と中間層      239
   雨宮昭一

  日本の戦時経済と政府-企業間関係の発展         267
  岡崎啓二

  産業報国会の歴史的位置総力戦体制と日本の労使関係         287
   佐口和郎
 
 総力戦体制と思想戦の言説空間           313
   佐藤卓己
  人名索引 341

正直全ては読めなかった。ヴィクター・コシュマンの論文まで読んで断念した。それでも、漠然と描いていた「戦争が近代社会を創り上げた」ということが理解できてきたように思う。

これまで、社会学などでは避けられてきた戦争や戦時体制 これこそ近代の根底をなすものであることを、我々は再認識すべきだと改めて思う。

毎年出る3万人の自殺者の多くは、第二の敗戦の戦死者なのかも知れない。
現代進む経済格差、官僚や財界への不信、そして平成維新
まさしく、選挙による合法クーデターがポピュリズムによって起こりつつある。
アメリカの国家統制の強い、戦時体制と歩調を合わせれば当然の成り行きだから仕方ない?

戦前の日本は軍国主義で財界もいいなりというイメージは間違いであったことと、大正デモクラシーの頃から恵まれない軍人に有能な人物が集まらなかったことと合致する。
そうすると、自衛隊の武官の処遇をよくしないと戦前の日本と同じになると言うことか?

平和で美しい日本の着物を脱ぎ捨てて、鎧を露わにすべきなのか。
露わにしない戦略こそ 生き延びる戦略ではないのかと
考えさせられるおすすめの本である。