私は昔から哲学書は苦手であった。この本も読み切るのに時間がかかった。
私の大学院の恩師、石川栄吉先生は哲学に対して疑義を唱える人だった。
私自身はそうとは思えず、研究室の先輩の哲学的レトリックには魅力を感じつつ、空虚感も感じた。
今回この書を読んでみて、哲学は現実の社会現象を抽象的な言葉でフィクション化回避しているように思えた。
しかし、文学がフィクションと名乗って、現実を暴くように、抽象化して現実を暴くのが哲学かなとも思った。
ただ、彼の最近の活動をネットで調べると、かなり現実の社会問題に取り組んでいることが分かる。
今後彼の主張や動向は、学術的な哲学を越えているようにも思っている。
私自身は、社会学が避けてきた軍事の問題をどう捉えるかずっと悩んでいた。
「暴力」という言葉は、生々しいリアリティーを回避するのに用いやすい言葉だとは思った。
国家の根幹に関わるものとしての「暴力」を通して、「想像」された国家の裏面を暴いた。
私はもう一つ「欲望」という言葉も用いたいが、これもまだ考えがまとまっていない。
とにかく、歴史や現代を考える上でも、割り切って考えるのに非常に参考となった。
平和主義を唱える日本人にとって、「暴力」を表出させられてしまうと不安になるのだが、リアリティーのない状態で右傾化する事の方が恐怖である。
私の最大の関心は、国家に組する以外の生活であり、適当に国家と付き合いながら、どう自分たちの生活と仲間を守っていくかである。
欲ボケして国家奴隷の如き生活を余儀なくされている我々の立ち位置から目を背けないことが、今一番重要だと思っている。
そういう意味でこの書は参考になるが、私自身完全に理解できているとは言い切れない。
おそらく、自分の都合の良いように解釈しても良いのかも知れない。
目次
国家とはなにか
初版第1刷発行
2005年6月15日
著 者 萱野稔人
発行者 勝股光政
発行所 以 文 社
イントロダクション 3
第一章 国家の概念規定 9
1 「物理的暴力行使の独占」
― ウェーバーによる国家の定義 9
2 暴力の正当性と合法性 16
3 暴力の自己根拠化とヘゲモニー 26
4 「暴力の歴史の哲学」 37
第二章 暴力の組織化 43
1 秩序と支配の保証 43
2 服従の生産―権力と暴力 48
3 暴力と権力の規範的区別と機能的区別 56
4 権力による暴力の組織化と加工 69
5 手段をこえる暴力? 81
第三章 富の我有化と暴力 93
1 富の我有化と暴力の社会的機能 93
2 税の徴収の根拠 99
3 設立による国家と獲得による国家 106
4 所有・治安・安全 118
5 国家形態の規定要因と「国家なき社会」 128
第四章 方法的考察 137
1 国民国家批判の陥穿 137
2 国家・イデオロギー・主体
―国家=フィクション論の誤謬(1) 144
3 国家と言説
―国家=フィクション論の誤謬(2) 53
第五章 主権の成立 159
1 暴力をめぐる歴史的問題としての主権 159
2 近代以前の国家形態 161
3 暴力の独占と政治的なものの自律化 168
4 領土と国境 176
5 「大地のノモス」と世界の地図化 182
6 国境と頷土による国家の脱人格化 186
第六章 国民国家の形成とナショナリズム 191
1 国民国家とナショナリズムの概念的区別 191
2 国家の暴力の「民主化」 197
3 神学的・経済的なものと国家のヘゲモニー 204
4 権力関係の脱人格化 213
5 主権的権力と生-権力の結びつき 224
6 ナショナル・アイデンティティの構成 233
第七章 国家と資本主義 243
1 捕獲装置と資本主義 243
2 全体主義的縮減-国家の現在 256
3 脱領土化する国家 265
4 公理をめぐる闘争 270
あとがき 281