2012年7月25日水曜日

柳田の経世済民の志はどこにいったのか    谷川健一

柳田国男に関しては色々と評されているが、この対談の中で柳田を貴族と言って憚らないことに何か違和感を非常に感じた。
確かに高等官僚だった柳田の振る舞いは、そのように評されても仕方ないのかも知れないが、生い立ちを考えれば成り上がり者が権威を持ったと評した方が良いのではないかと思う。
私はかねてより、播磨地方のあれだけ塩田労働者や、皮革業等の非常民が多く住む地方に生まれながら、農民に拘っていたのか疑問だったが、成り上がり者は生い立ちを隠したかったからではないかと思うようになった。

それは薩長の成り上がり者にも共通したところもあるだろう。
私は奄美研究の延長上に島津藩の歴史や民俗を調べたが、琉球諸島に引けを取らない独自の社会文化が見いだされた。
学会やインテリ達が構築した日本という国家の記述すべき文脈から、権威者の国元の社会文化は避けられた。
だから、彼を貴族と称するのは皮肉でしかないと思う。

*目次は前回のブログに掲載

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