萱野稔人氏の記事が朝日新聞の日曜版に載っていて関心を持った。
聞いた名前だなと思ったら、日曜の朝の時事問題に関するテレビ番組にも出演していた。
関心を持ったのは、風変わりな哲学者とという意外にも、国家の暴力をまともに扱っていることを知ったからだ。
この書のあとがきにも書いてあるとおり、『カネと暴力の系譜学』は『国家とはなにか』の続編であり、後者は「暴力の組織化」、前者は「労働の組織化」がキーワードと言う。
図書を検索して面白そうな方から読んだのだが、本来は『国家とはなにか』から読むべきだった。
それを読んでから紹介しようと思ったが、ちょうど衆議院選挙も間近に迫り、この本を読んでから選挙に行って欲しいと思った。
昨夜も「朝まで生テレビ」で色々討論がなされていたが、そこで気づかされたのは、原発はアメリカや英仏との関係に決定されるものであるということ。
何よりもアメリカが脱原発を容認しないことであった。
まさしくアメリカ国家による暴力的な支配により、日本は身動きできない。
同じ穴の狢として、イギリスに預けたプルトニウムを返すと言われて、為す術がない。
国民を欲望の道連れにし、史上最悪の事故を起こしても、日本国家は変われないのだろうか?
「美しい日本」を取り戻すというのは、米国に従属し原爆に継ぎ原発事故の起きた教訓を活かさないことなのか?
まさしく、今回の選挙は安保闘争に匹敵する重大な選択を迫られるものとなるだろうと思った。
戦争や大恐慌の危機を煽り、国民を不安にして危険な政策を強行することは、戦前のファシズムと変わりはない。
南方や大陸に活路を見出そうとして、日本人だけでも400万人以上の死者(http://www.max.hi-ho.ne.jp/nvcc/TR7.HTM参照)を出した太平洋戦争の教訓を思い出すべきである。
萱野氏はカネに集約させていったのだが、エネルギーも富や暴力と深く関わるものである。
<富への権力>により、民衆を欲望に駆り立て組織化できたカネ。
エネルギー革命により奴隷は賃金労働者になったのだが、IT革命によって労働組織化の問題の比重は下がった。
今後、個人がエネルギーを確保できるようになれば、国家の暴力への権利も抑制されるだろう。
この 『カネと暴力の系譜学』は国家とヤクザを上手く比較して、わかりやすく解説してくれたものである。
フーコーやドゥルーズ=ガタリ等の文献を分かりやすく説明してくれて、一般の人にも理解しやすくしてくれている。
私の研究にとっても、特に「非公式暴力の活用」は差別問題やエスニシティの問題とも関連して参考になった。
目次
カネと暴力の系譜学 [シリーズ・道徳の系譜]
萱野稔人
発行日
二〇〇六年一一月二〇日初版印刷
二〇〇六年一一月三〇日初版発行
発行者 若森繁男
河出書房新社
第一章 カネを吸いあける二つの回路 7
カネを手に入れる四つの方法 9
二つの〈権利〉 暴力とカネ 18
第二章 国家暴力について 29
国家とヤクザ組織の同一性と差異 31
事象はなぜ合法的な暴力を独占できるのか 50
合法性と正当性 61
暴力をめぐる価値判断と思考 77
第三章 法的暴力のオモテとウラ 85
法と例外 87
非公式暴力の活用 - 105
規律・訓練と法の外 127
第四章 カネと暴力の系譜学 153
所有の起源 155
資本主義の成立と所有の変容 164
国家と資本主義のあいだ 176
労働の成果を吸いあげる運動の機能分化…………184
注 193
あとがき ー 198
2012年12月2日日曜日
2012年11月25日日曜日
『大正デモクラシー』成田龍一
この道はいつか来た道 ああ そうだよお
とこの書を読むと口ずさみたくなる。どこかの新聞や週刊誌の見出しにも用いられたフレーズに思うが、敢えて使いたい。
混沌とした政局、隠然たる既得権力、未曾有の大災害に不況etc
大きく違うのはアメリカ帝国に制御されて、軍事力が独自の力を持っていないと言うことだろう。
ただ、当時既に英米の東アジア戦略の手中にあったと考えれば、日本は利用されている点では同じかも知れない。
今回も尖閣列島問題における領土問題で貿易等で得をしたのは、ドイツやアメリカなどであった。
日清・日露戦争で確定された領土という歴史に触れようともせず、『琉球王国』がどのような国であったか考慮することも忌避する。
政治家の言う歴史認識が妥当かどうか、岩波新書の『シリーズ日本近現代史』を繙いてみたらどうだろうか。
奇しくも外交の失敗と自民党の安倍総裁が街頭演説で民主党を批難したが、アメリカのアジア戦略に沿う形が将来の日本のためになるのか
ヨーロッパからアジアにシフトした世界経済での、日本のあり方はもう一度歴史認識を問い直すことから始める必要があると思う。
特にこの書は現代日本を考える上で参考になった。
大正デモクラシー
シリーズ日本近現代史④ 岩波新書(新赤版)1045
2007年4月20日 第1刷発行
著 者 成田龍一【なりたりゅういち】
発行者 山口昭男
発行所 株式会社岩波書店
目 次
はじめに - 帝国とデモクラシーのあいだ
第1章 民本主義と都市民衆…・ :1
1 日比谷焼打ち事件と雑業層 2
2 旦那衆の住民運動 11
3 第一次護憲運動と大正政変 18
4 民本主義の主張 27
5 「新しい女性」 の登場 37
第2章 第一次世界大戦と社会の変容…・ ‥45
1 韓国併合 46
2 第一次世界大戦開戦 55
3 都市社会と農村社会 62
4 シベリア出兵の顛末 72
第3章 米騒動・政党政治・改造の運動… 81
1 一九一八年夏の米騒動 82
2 政党内閣の誕生 89
3 「改造」の諸潮流 100
4 無産運動と国粋運動 111
5 反差別意識の胎動 119
第4章 植民地の光景………: :129
1 植民地へのまなざし 130
2 三・一運動と五・四運動 139
3 植民地統治論の射程 148
4 ワシントン体制 156
第5章 モダニズムの社会空間…・ …:163
1 関東大震災 164
2 「主婦」と「職業婦人」 171
3 「常民」とは誰か 178
4 都市空間の文化経験 183
5 普通選挙法と治安維持法 190
第6章 恐慌下の既成政党と無産勢力=: …………・201
1 歴史の裂け目 202
2 既成政党と無産政党 209
3 緊縮・統帥権干犯・恐慌 220
4 恐慌下の社会運動 228
おわりに-「満州事変」前後… =237
あとがき 243
参考文献
略年表
索 引
とこの書を読むと口ずさみたくなる。どこかの新聞や週刊誌の見出しにも用いられたフレーズに思うが、敢えて使いたい。
混沌とした政局、隠然たる既得権力、未曾有の大災害に不況etc
大きく違うのはアメリカ帝国に制御されて、軍事力が独自の力を持っていないと言うことだろう。
ただ、当時既に英米の東アジア戦略の手中にあったと考えれば、日本は利用されている点では同じかも知れない。
今回も尖閣列島問題における領土問題で貿易等で得をしたのは、ドイツやアメリカなどであった。
日清・日露戦争で確定された領土という歴史に触れようともせず、『琉球王国』がどのような国であったか考慮することも忌避する。
政治家の言う歴史認識が妥当かどうか、岩波新書の『シリーズ日本近現代史』を繙いてみたらどうだろうか。
奇しくも外交の失敗と自民党の安倍総裁が街頭演説で民主党を批難したが、アメリカのアジア戦略に沿う形が将来の日本のためになるのか
ヨーロッパからアジアにシフトした世界経済での、日本のあり方はもう一度歴史認識を問い直すことから始める必要があると思う。
特にこの書は現代日本を考える上で参考になった。
大正デモクラシー
シリーズ日本近現代史④ 岩波新書(新赤版)1045
2007年4月20日 第1刷発行
著 者 成田龍一【なりたりゅういち】
発行者 山口昭男
発行所 株式会社岩波書店
目 次
はじめに - 帝国とデモクラシーのあいだ
第1章 民本主義と都市民衆…・ :1
1 日比谷焼打ち事件と雑業層 2
2 旦那衆の住民運動 11
3 第一次護憲運動と大正政変 18
4 民本主義の主張 27
5 「新しい女性」 の登場 37
第2章 第一次世界大戦と社会の変容…・ ‥45
1 韓国併合 46
2 第一次世界大戦開戦 55
3 都市社会と農村社会 62
4 シベリア出兵の顛末 72
第3章 米騒動・政党政治・改造の運動… 81
1 一九一八年夏の米騒動 82
2 政党内閣の誕生 89
3 「改造」の諸潮流 100
4 無産運動と国粋運動 111
5 反差別意識の胎動 119
第4章 植民地の光景………: :129
1 植民地へのまなざし 130
2 三・一運動と五・四運動 139
3 植民地統治論の射程 148
4 ワシントン体制 156
第5章 モダニズムの社会空間…・ …:163
1 関東大震災 164
2 「主婦」と「職業婦人」 171
3 「常民」とは誰か 178
4 都市空間の文化経験 183
5 普通選挙法と治安維持法 190
第6章 恐慌下の既成政党と無産勢力=: …………・201
1 歴史の裂け目 202
2 既成政党と無産政党 209
3 緊縮・統帥権干犯・恐慌 220
4 恐慌下の社会運動 228
おわりに-「満州事変」前後… =237
あとがき 243
参考文献
略年表
索 引
2012年10月12日金曜日
『世界の奴隷制の歴史』オルランド・パターソン
本文だけで700頁以上あるので読み終えるのに相当時間がかかったが、しかし苦労して読むだけの価値はあった。
訳者あとがきには
本書は刊行後、アメリカの雑誌、新開、学会誌などで数え切れないほどの書評の対象となったが、そのどれもが「驚異的」、「超人的」、「記念碑的」などという最大級の賛辞をもって本書を評価している。注だけでも一冊の本になるほどの分量で、研究者には大きな価値があると言われている(p725)
と紹介していることからも分かるように、奴隷研究には必読の書であった。
もっと前にこの書に出会っていれば、今までの奴隷や人身売買に関する文献の読み方も違っていたと思う。
訳者の解説のように日本における奴隷制はあまり取り上げられていないのだが、『〈身売り〉の日本史―人身売買から年季奉公へ』 下重 清 2012 吉川弘文館を、私は先に読んでいたので、 比較しながら読めた。
この書のお陰で、私も奄美のヤンチュ制度を世界史的な視点で考えることが出来るように思う。
どうしても日本の問題は奴隷という用語で分析することに抵抗を感じ、人身売買という言葉で婉曲的な表現に留めてきた。
また、中国、朝鮮、日本の奴婢という用語と奴隷という用語を区別するような傾向もあったが、パターソンは、最も典型的で長期にわたった奴隷制として、朝鮮をあげている。
そして、中国の宦官にしても、究極の奴隷制ということになる。
この奴隷制に対して一方で「奴隷以下」と表される強制労働の問題があるのだが、奴隷が近代とも切り離せないように、近代戦と「奴隷以下」とも切り離せない問題である。
そして、軍事奴隷というイスラムの例をまつまでもなく、軍事と奴隷は密接な関係にあることを、この書は明らかにしてくれている。
ということは戦時体制を維持している現代社会にとって非常に身近な問題なのであるが、特に日本では目を背けたままになってしまった。
「平和呆け」と一部の政治家や評論家などは日本国民を評するが、軍事と奴隷の問題を冷徹に示さずに「平和呆け」をなじることは国民を馬鹿にしている。
奴隷制の問題が一番深刻だったアメリカでこの書がきちっと評価されることに、その冷徹さを感じさせられる。
上に紹介した下重清氏は年季奉公は身売りと同じという強調しているが、アメリカの奴隷制と年季奉公はあまり区別がない。
今後は世界史的な観点で扱うべき問題であり、同じ奴隷制でも人種差別がないから違うという論理は成り立たないことがこの書を読めば分かる。
そして、奴隷制そのものに興味がない人も、現代の被雇用者の立場と比較してみれば、奴隷制度は身近に感じるだろう。
目次
オルランド・パターソン著
奥田暁子訳
世界人権問題叢書41
世界の奴隷制の歴史
2001年6月20日第1刷発行
発行者 石井昭男
発行所株式会社 明石書店
はじめに 5
序章 奴隷制の構成要素 25
第Ⅰ部 奴隷制の内部関係
第1章 権力のイディオム 55
権力のイディオムと財産の概念 56
財産と奴隷制 61
権力のイディオムと奴隷制のイディオム 71
奴隷制の矛盾 80
第2章 権威・疎外・社会的な死 95
象徴的支配としての権威 96
社会的な死についての二つの概念 100
周縁の統合 112
奴隷化の儀式としるし 123
擬制の親族関係 142
宗教と象徴性 147
第3章 名誉と蔑視 183
名誉の本質 186
部族社会における名誉と奴隷制 189
発展した前近代社会の人びとに見られる名誉と奴隷制 198
合衆国南部における名誉と奴隷制 212
ヘーゲルと奴隷制の弁証法 218
第Ⅱ部 制度的プロセスとしての奴隷制度
第4章 「自由」民の奴隷化 ・ ・ - 241
戦争捕虜 242
誘拐 257
貢納と税金 268
債務 271
犯罪に対する処罰 274
子供の遺棄と売却 279
自ら奴隷になること 281
第5章 出生奴隷 - ・・305
アシャンティ型 310
ソマリ型 313
トゥアレグ型 316
ローマ型 317
中国型 321
近東型 325
シェルプロ型 329
第8章 奴隷の収得 33,
対外貿易 339
国内貿易 362
花嫁代償およびダウリー 365
貨幣としての奴隷 367
第7章 奴隷の境遇 385
奴隷の特有財産 400
結婚その他のカップル 408
奴隷の殺害 414
奴隷に対する第三者の犯罪 419
奴隷の犯罪 423
全体としての奴隷の取り扱い 426
能動的行為者としての奴隷 429
結論 438
第8章 解放- その意味と様式 ・ 465
奴隷状態からの解放の意味 465
身請けの儀式 474
解放の形態 481
第9章 解放奴隷の身分 525
解放奴隷と元の主人 525
解放奴隷と出生自由民 536
第10章 解放のパターン ・ ・ 567
解放の発生 568
解放率と解放のパターン 580
重要視されない人種 590
インターカルチェラル・パターン 592
支配的要因 602
結論 615
第Ⅲ部 奴隷制の弁証法
第11章 究極の奴隷 ・ 635
カエサルの家人たち 636
イスラムのグラーム 650。
ビザンティン帝国と中国における宦官 662
支配の原動力 690
第12章 人間の寄生【パラサイト】としての奴隷制 703
訳者あとがき 725
付録 A 782
B 776
C 773
索引 814
訳者あとがきには
本書は刊行後、アメリカの雑誌、新開、学会誌などで数え切れないほどの書評の対象となったが、そのどれもが「驚異的」、「超人的」、「記念碑的」などという最大級の賛辞をもって本書を評価している。注だけでも一冊の本になるほどの分量で、研究者には大きな価値があると言われている(p725)
と紹介していることからも分かるように、奴隷研究には必読の書であった。
もっと前にこの書に出会っていれば、今までの奴隷や人身売買に関する文献の読み方も違っていたと思う。
訳者の解説のように日本における奴隷制はあまり取り上げられていないのだが、『〈身売り〉の日本史―人身売買から年季奉公へ』 下重 清 2012 吉川弘文館を、私は先に読んでいたので、 比較しながら読めた。
この書のお陰で、私も奄美のヤンチュ制度を世界史的な視点で考えることが出来るように思う。
どうしても日本の問題は奴隷という用語で分析することに抵抗を感じ、人身売買という言葉で婉曲的な表現に留めてきた。
また、中国、朝鮮、日本の奴婢という用語と奴隷という用語を区別するような傾向もあったが、パターソンは、最も典型的で長期にわたった奴隷制として、朝鮮をあげている。
そして、中国の宦官にしても、究極の奴隷制ということになる。
この奴隷制に対して一方で「奴隷以下」と表される強制労働の問題があるのだが、奴隷が近代とも切り離せないように、近代戦と「奴隷以下」とも切り離せない問題である。
そして、軍事奴隷というイスラムの例をまつまでもなく、軍事と奴隷は密接な関係にあることを、この書は明らかにしてくれている。
ということは戦時体制を維持している現代社会にとって非常に身近な問題なのであるが、特に日本では目を背けたままになってしまった。
「平和呆け」と一部の政治家や評論家などは日本国民を評するが、軍事と奴隷の問題を冷徹に示さずに「平和呆け」をなじることは国民を馬鹿にしている。
奴隷制の問題が一番深刻だったアメリカでこの書がきちっと評価されることに、その冷徹さを感じさせられる。
上に紹介した下重清氏は年季奉公は身売りと同じという強調しているが、アメリカの奴隷制と年季奉公はあまり区別がない。
今後は世界史的な観点で扱うべき問題であり、同じ奴隷制でも人種差別がないから違うという論理は成り立たないことがこの書を読めば分かる。
そして、奴隷制そのものに興味がない人も、現代の被雇用者の立場と比較してみれば、奴隷制度は身近に感じるだろう。
目次
オルランド・パターソン著
奥田暁子訳
世界人権問題叢書41
世界の奴隷制の歴史
2001年6月20日第1刷発行
発行者 石井昭男
発行所株式会社 明石書店
はじめに 5
序章 奴隷制の構成要素 25
第Ⅰ部 奴隷制の内部関係
第1章 権力のイディオム 55
権力のイディオムと財産の概念 56
財産と奴隷制 61
権力のイディオムと奴隷制のイディオム 71
奴隷制の矛盾 80
第2章 権威・疎外・社会的な死 95
象徴的支配としての権威 96
社会的な死についての二つの概念 100
周縁の統合 112
奴隷化の儀式としるし 123
擬制の親族関係 142
宗教と象徴性 147
第3章 名誉と蔑視 183
名誉の本質 186
部族社会における名誉と奴隷制 189
発展した前近代社会の人びとに見られる名誉と奴隷制 198
合衆国南部における名誉と奴隷制 212
ヘーゲルと奴隷制の弁証法 218
第Ⅱ部 制度的プロセスとしての奴隷制度
第4章 「自由」民の奴隷化 ・ ・ - 241
戦争捕虜 242
誘拐 257
貢納と税金 268
債務 271
犯罪に対する処罰 274
子供の遺棄と売却 279
自ら奴隷になること 281
第5章 出生奴隷 - ・・305
アシャンティ型 310
ソマリ型 313
トゥアレグ型 316
ローマ型 317
中国型 321
近東型 325
シェルプロ型 329
第8章 奴隷の収得 33,
対外貿易 339
国内貿易 362
花嫁代償およびダウリー 365
貨幣としての奴隷 367
第7章 奴隷の境遇 385
奴隷の特有財産 400
結婚その他のカップル 408
奴隷の殺害 414
奴隷に対する第三者の犯罪 419
奴隷の犯罪 423
全体としての奴隷の取り扱い 426
能動的行為者としての奴隷 429
結論 438
第8章 解放- その意味と様式 ・ 465
奴隷状態からの解放の意味 465
身請けの儀式 474
解放の形態 481
第9章 解放奴隷の身分 525
解放奴隷と元の主人 525
解放奴隷と出生自由民 536
第10章 解放のパターン ・ ・ 567
解放の発生 568
解放率と解放のパターン 580
重要視されない人種 590
インターカルチェラル・パターン 592
支配的要因 602
結論 615
第Ⅲ部 奴隷制の弁証法
第11章 究極の奴隷 ・ 635
カエサルの家人たち 636
イスラムのグラーム 650。
ビザンティン帝国と中国における宦官 662
支配の原動力 690
第12章 人間の寄生【パラサイト】としての奴隷制 703
訳者あとがき 725
付録 A 782
B 776
C 773
索引 814
2012年8月30日木曜日
『ヨーロッパ的普遍主義』イマニュエル・ウオーラーステイン
ウオーラーステインに関しては以前から何度も引用された文献を読んでいたので、知ってはいたが、本来『近代世界システム』の基礎文献から読むべきところを、題名につられて先に読んでしまった。
副題の「近代世界システムにおける構造的暴力と権力の修辞学」という意味合いは、著者の弟子であり訳者である山下範久氏が日本の読者のために付け加えたようだ。
「暴力」という言葉は、本文ではあまり見いだせないが、山下氏は「訳者あとがき」で多く使っている。
これは我々、ヨーロッパの外にあって、その普遍主義に付き合うことによって生きざるを得ない、立場を表現しているように思う。
本文でも「軍事的」という言葉は見いだせるが、軍事そのものがもつシステムへの影響力の説明はない。
社会学は例外を除いて、それを避けてきたように思う。
経済や政治の暴力と一体化している、暴力そのものの軍事の本質を説明しないことにジレンマを感じてきたがこの書も同じであった。
しかし、科学や人文という学問そのものの暴力性も暴いていることには非常に参考になった。
エリザベス・アボットの『砂糖の歴史』 で生々しい奴隷という暴力の現場の書を読んだ後で、抽象的な暴力のレトリックを学ぶというのももどかしい。
戦争や災害によって脆くも崩れていく、都市文明を身近に感じながら、何とか99%の弱者の中でも何とか生き延びようという我々庶民の生き方に、別の生き方があるのか?
今日もシャープという企業の断末魔をニュースで見ながら、動乱期に生きる現代人の哀れさを思い知る。
1%の強者はシステムの暴力とうまく手を繋ぎながら、正体を見せない。
それを考えさせられる書である。
なお、「訳者のあとがき」も非常に解説として分かりやすい。
目次
ヨーロッパ的普遍主義-近代世界システムにおける構造的暴力と権力の修辞学
著者 イマニュエル・ウオーラーステイン
訳者 山下範久
2008年
発行者 石井昭男
発行所 株式会社明石書店
目 次
謝辞 9
はじめに 11
今日における普遍主義の政治学
第Ⅰ章 干渉の権利はだれのものか 19
-野蛮に対する普遍的価値
第Ⅱ章 ひとは非東洋学者になりうるか 69
-本質主義的個別主義
第Ⅲ章 真理はいかにして知られるか 105
~科学的普遍主義
第Ⅳ章 観念のパワー、パワーの観念 139
- 与えることと受け取ること?
文献一覧 164
訳者あとがき 168
索引 189
Acknowledgments
Introduction:
The Politics of Universalism Today
1/Whose Right to lntervene?
Universal Values Against Barbarism
2/Can One Be a Non-Orientalist?
Essentialist Particularism
3/How Do We Know the Truth?
Scientific Universalism
4/The Power of Ideas,the Ideas of Power:
To Give and to Receive?
Bibliography
副題の「近代世界システムにおける構造的暴力と権力の修辞学」という意味合いは、著者の弟子であり訳者である山下範久氏が日本の読者のために付け加えたようだ。
「暴力」という言葉は、本文ではあまり見いだせないが、山下氏は「訳者あとがき」で多く使っている。
これは我々、ヨーロッパの外にあって、その普遍主義に付き合うことによって生きざるを得ない、立場を表現しているように思う。
本文でも「軍事的」という言葉は見いだせるが、軍事そのものがもつシステムへの影響力の説明はない。
社会学は例外を除いて、それを避けてきたように思う。
経済や政治の暴力と一体化している、暴力そのものの軍事の本質を説明しないことにジレンマを感じてきたがこの書も同じであった。
しかし、科学や人文という学問そのものの暴力性も暴いていることには非常に参考になった。
エリザベス・アボットの『砂糖の歴史』 で生々しい奴隷という暴力の現場の書を読んだ後で、抽象的な暴力のレトリックを学ぶというのももどかしい。
戦争や災害によって脆くも崩れていく、都市文明を身近に感じながら、何とか99%の弱者の中でも何とか生き延びようという我々庶民の生き方に、別の生き方があるのか?
今日もシャープという企業の断末魔をニュースで見ながら、動乱期に生きる現代人の哀れさを思い知る。
1%の強者はシステムの暴力とうまく手を繋ぎながら、正体を見せない。
それを考えさせられる書である。
なお、「訳者のあとがき」も非常に解説として分かりやすい。
目次
ヨーロッパ的普遍主義-近代世界システムにおける構造的暴力と権力の修辞学
著者 イマニュエル・ウオーラーステイン
訳者 山下範久
2008年
発行者 石井昭男
発行所 株式会社明石書店
目 次
謝辞 9
はじめに 11
今日における普遍主義の政治学
第Ⅰ章 干渉の権利はだれのものか 19
-野蛮に対する普遍的価値
第Ⅱ章 ひとは非東洋学者になりうるか 69
-本質主義的個別主義
第Ⅲ章 真理はいかにして知られるか 105
~科学的普遍主義
第Ⅳ章 観念のパワー、パワーの観念 139
- 与えることと受け取ること?
文献一覧 164
訳者あとがき 168
索引 189
Acknowledgments
Introduction:
The Politics of Universalism Today
1/Whose Right to lntervene?
Universal Values Against Barbarism
2/Can One Be a Non-Orientalist?
Essentialist Particularism
3/How Do We Know the Truth?
Scientific Universalism
4/The Power of Ideas,the Ideas of Power:
To Give and to Receive?
Bibliography
2012年8月23日木曜日
『砂糖の歴史』 エリザベス・アボット
この書籍も、今までの自分の研究を根本的に見なおさねばならないことを感じさせられました。
私は「奄美の歴史」は日本の歴史において非常に「不都合な歴史」と常々思ってきました。
あの歯切れの良い小熊英二氏でさえ「日本人の境界」で深いりすることをためらう地域ですから、よほど覚悟を持って歴史認識を考えないといけないと思っています。
やはり、一番の問題は村落によっては人口比3割を超えたという、ヤンチュの問題です。
奴隷、人身売買、年季奉公というような分析用語で簡単に括るわけには行きません。
色々と読みあさりましたが、今回読んだこの書籍はタイトルが「砂糖の歴史」と言いながら、実は近代奴隷制度の歴史であり、生活史でもありました。
『近世奄美の支配と社会』 (松下志朗 1983 第一書房)と一緒に読んで頂ければ、他人事ではないことに気付かされる筈です。
この書では中国とインドがプランテーション化を免れた地域として扱い、年季奉公者の部分を大きく取り上げていますが、奄美や台湾を考える時にはそれでは済まされないと思います。
オランダを媒介として仕組まれたシステムとして(専売制と日本の歴史家は呼ぶでしょうが)、近代奴隷制度による植民地としての視角を持つべき事を確証させてくれた書籍です。
目次
砂糖の歴史【さとう】【れきし】
2011年5月20日 初版印刷
2011年5月30日 初版発行
著 者 エリザベス・アボット
訳 者 樋口幸子
装幌者 岩瀬聡
発行者 小野寺優
発行所 株式会社河出書房新社
序 章 7
第1部 西洋を征服した東洋の美味 17
第1章 「砂糖」王の台頭 18
第2章 砂糖の大衆化 56
第2部 黒い砂糖 93
第3章 アフリカ化されたサトウキビ畑 94
第4章 白人が創り出した世界 150
第5章 砂糖が世界を動かす 181
第2部 抵抗と奴隷制廃止 227
第6章 人種差別、抵抗、反乱、そして革命 228
第7章 血まみれの砂糖 - 奴隷貿易廃止運動 266
第8章 怪物退治―奴隷制と年季奉公制 297
第9章 キューバとルイジアナ―北アメリカ向けの砂糖 326
第4部 甘くなる世界 375
第10章 砂糖農園の出稼ぎ移民たち 376
第11章 セントルイスへ来て、見て、食べて! 421
第12章 砂糖の遺産と将来 458
謝 辞 497
訳者あとがき 500
参考文献 513
私は「奄美の歴史」は日本の歴史において非常に「不都合な歴史」と常々思ってきました。
あの歯切れの良い小熊英二氏でさえ「日本人の境界」で深いりすることをためらう地域ですから、よほど覚悟を持って歴史認識を考えないといけないと思っています。
やはり、一番の問題は村落によっては人口比3割を超えたという、ヤンチュの問題です。
奴隷、人身売買、年季奉公というような分析用語で簡単に括るわけには行きません。
色々と読みあさりましたが、今回読んだこの書籍はタイトルが「砂糖の歴史」と言いながら、実は近代奴隷制度の歴史であり、生活史でもありました。
『近世奄美の支配と社会』 (松下志朗 1983 第一書房)と一緒に読んで頂ければ、他人事ではないことに気付かされる筈です。
この書では中国とインドがプランテーション化を免れた地域として扱い、年季奉公者の部分を大きく取り上げていますが、奄美や台湾を考える時にはそれでは済まされないと思います。
オランダを媒介として仕組まれたシステムとして(専売制と日本の歴史家は呼ぶでしょうが)、近代奴隷制度による植民地としての視角を持つべき事を確証させてくれた書籍です。
目次
砂糖の歴史【さとう】【れきし】
2011年5月20日 初版印刷
2011年5月30日 初版発行
著 者 エリザベス・アボット
訳 者 樋口幸子
装幌者 岩瀬聡
発行者 小野寺優
発行所 株式会社河出書房新社
序 章 7
第1部 西洋を征服した東洋の美味 17
第1章 「砂糖」王の台頭 18
第2章 砂糖の大衆化 56
第2部 黒い砂糖 93
第3章 アフリカ化されたサトウキビ畑 94
第4章 白人が創り出した世界 150
第5章 砂糖が世界を動かす 181
第2部 抵抗と奴隷制廃止 227
第6章 人種差別、抵抗、反乱、そして革命 228
第7章 血まみれの砂糖 - 奴隷貿易廃止運動 266
第8章 怪物退治―奴隷制と年季奉公制 297
第9章 キューバとルイジアナ―北アメリカ向けの砂糖 326
第4部 甘くなる世界 375
第10章 砂糖農園の出稼ぎ移民たち 376
第11章 セントルイスへ来て、見て、食べて! 421
第12章 砂糖の遺産と将来 458
謝 辞 497
訳者あとがき 500
参考文献 513
2012年8月9日木曜日
『民権と憲法』 牧原憲夫
私は日本の「創られた伝統」ということに関して言えば、日本の近代に関してきちっと把握できているという自信が無かった。
そこで岩波新書のシリーズ日本近現代史が読みやすいように思えたので、読み始めた。
2巻目のこの書は一見タイトルは面白みのないもので、全部読み切れるか心配だったが、下手な歴史小説より余程面白い。
Wikipediaには「牧原 憲夫(まきはら のりお、1943年-)は、日本の歴史学者。東京経済大学非常勤講師。専門は日本近代史 特に明治期の民衆史・社会史。 」と紹介されている。
タイトルが政治史のようなイメージを与えるのだが、民衆史・社会史に近い理由がよく分かった。
網野善彦氏は大上段に日本史の「創られた歴史」の部分を批判して、それはそれなりに考えさせられる。
しかし、牧原憲夫氏のように民衆の立場に立った史料を突きつけるほうが、底の浅い「創られた歴史」を笑い飛ばすことができる。
つい最近まで「美しい国日本」とか「和の文化の再考」とか、日本人をあたかも古い伝統の中で維持された民族のように捉える傾向が強かった。
網野氏は日本という国家の起源まで遡って批判したが、明治初期の状況を描くことで充分批判できることが分かる。
私はそもそも権力側にあった薩摩の歴史を調べることから取り組んだので、明治初期の薩長の動向は特に気になっていた。
薩長によって創られた伝統・歴史が、その後の薩長によって創られた軍や官僚システムの中からできあがった権力によって、当初よりもいっそう突出した既成事実の権威を持って暴走した。
薩長は潜在的に権威を維持しながら、表舞台から裏側に回ったという印象である。
その最たるものが近代天皇であるが、この書ではいかに伊藤博文が明治天皇を信頼していなかったかがよく分かる。
明治天皇は長州によって捏造されたとまで言われるのが分かるような気もする。
たぶん、多くの読者はタイトルだけで敬遠してしまいそうなので、この書を立ち読みでも良いから手にとって、章立てに拘らずに呼んで貰いたいと思う。
私が以前から研究してきた、教育史や家族史なども分かりやすく概観してくれている。
硬そうな岩波新書を読んでいながら、思わず吹き出してしまうことで愉快に感じるのではないかと思う。
高校の日本史を受験のために字面だけ勉強しただけでは、面白みのないこの時代を、面白く描いてくれているお勧めの書である。
目次
民権と憲法
シリーズ日本近現代史②岩波新書(新赤版)1043
2006年12月20日第1刷発行
著者牧原憲夫【まきはらのりお】
発行者山口昭男
発行所株式会社岩波書店
目 次
はじめに
第1章 自由民権運動と民衆…・
1 竹橋事件と立志社建白書 2
2 県議会から国会開設へ 8
3 国民主義の両義性 18
第2章 「憲法と議会」をめぐる攻防:…・ ………・31
1 対立と混迷 32
2 明治一四年政変 38
3 自由民権運動の浸透と衰退 30
第3章 自由主義経済と民衆の生活… :59
1 松方財政と産業の発展 60
2 強者の自由と「仁政」要求 70
3 合理主義の二面性 80
第4章 内国植民地と「脱亜」への道 ・…:93
1 「文明」と 「囲い込み」 の論理 94
2 琉球王国の併合 106
3 朝鮮・中国と日本 112
第5章 学校教育と家族…・ …127
1一八八〇年代の学校教育 128
2 森有礼の国民主義教育 134
3 近代家族と女性 147
第6章 近代天皇制の成立… …159
1 近代的国家機構の整備 160
2 民衆と天皇 174
3 帝国憲法体制の成立 188
おわりに・ :201
あとがき 207
参考文献
略年表
索 引
そこで岩波新書のシリーズ日本近現代史が読みやすいように思えたので、読み始めた。
2巻目のこの書は一見タイトルは面白みのないもので、全部読み切れるか心配だったが、下手な歴史小説より余程面白い。
Wikipediaには「牧原 憲夫(まきはら のりお、1943年-)は、日本の歴史学者。東京経済大学非常勤講師。専門は日本近代史 特に明治期の民衆史・社会史。 」と紹介されている。
タイトルが政治史のようなイメージを与えるのだが、民衆史・社会史に近い理由がよく分かった。
網野善彦氏は大上段に日本史の「創られた歴史」の部分を批判して、それはそれなりに考えさせられる。
しかし、牧原憲夫氏のように民衆の立場に立った史料を突きつけるほうが、底の浅い「創られた歴史」を笑い飛ばすことができる。
つい最近まで「美しい国日本」とか「和の文化の再考」とか、日本人をあたかも古い伝統の中で維持された民族のように捉える傾向が強かった。
網野氏は日本という国家の起源まで遡って批判したが、明治初期の状況を描くことで充分批判できることが分かる。
私はそもそも権力側にあった薩摩の歴史を調べることから取り組んだので、明治初期の薩長の動向は特に気になっていた。
薩長によって創られた伝統・歴史が、その後の薩長によって創られた軍や官僚システムの中からできあがった権力によって、当初よりもいっそう突出した既成事実の権威を持って暴走した。
薩長は潜在的に権威を維持しながら、表舞台から裏側に回ったという印象である。
その最たるものが近代天皇であるが、この書ではいかに伊藤博文が明治天皇を信頼していなかったかがよく分かる。
明治天皇は長州によって捏造されたとまで言われるのが分かるような気もする。
たぶん、多くの読者はタイトルだけで敬遠してしまいそうなので、この書を立ち読みでも良いから手にとって、章立てに拘らずに呼んで貰いたいと思う。
私が以前から研究してきた、教育史や家族史なども分かりやすく概観してくれている。
硬そうな岩波新書を読んでいながら、思わず吹き出してしまうことで愉快に感じるのではないかと思う。
高校の日本史を受験のために字面だけ勉強しただけでは、面白みのないこの時代を、面白く描いてくれているお勧めの書である。
目次
民権と憲法
シリーズ日本近現代史②岩波新書(新赤版)1043
2006年12月20日第1刷発行
著者牧原憲夫【まきはらのりお】
発行者山口昭男
発行所株式会社岩波書店
目 次
はじめに
第1章 自由民権運動と民衆…・
1 竹橋事件と立志社建白書 2
2 県議会から国会開設へ 8
3 国民主義の両義性 18
第2章 「憲法と議会」をめぐる攻防:…・ ………・31
1 対立と混迷 32
2 明治一四年政変 38
3 自由民権運動の浸透と衰退 30
第3章 自由主義経済と民衆の生活… :59
1 松方財政と産業の発展 60
2 強者の自由と「仁政」要求 70
3 合理主義の二面性 80
第4章 内国植民地と「脱亜」への道 ・…:93
1 「文明」と 「囲い込み」 の論理 94
2 琉球王国の併合 106
3 朝鮮・中国と日本 112
第5章 学校教育と家族…・ …127
1一八八〇年代の学校教育 128
2 森有礼の国民主義教育 134
3 近代家族と女性 147
第6章 近代天皇制の成立… …159
1 近代的国家機構の整備 160
2 民衆と天皇 174
3 帝国憲法体制の成立 188
おわりに・ :201
あとがき 207
参考文献
略年表
索 引
2012年7月31日火曜日
『翻訳の政治学』 與那覇潤
このところ、批評家東浩紀が草案した憲法論議について、今朝(2012/07/31)の朝日新聞で大きく取り上げられていたが、先週の朝まで生テレビでも少し見た。
東は東北の震災で「日本」というものがなくなることをおそれたというが、テレビでの討論でも日本とか民族という言葉をきちっと検証していなかった。
グローバライズされた今の日本での企業の生き残り戦略は、既に日本の国家の域を出ているのに、マスコミに接近している知識人たちは、国家に固執し続けていた。
そういえば、最近マスコミも中国の軍事的な台頭に対抗するための日米同盟という論調が多いが、日中関係の長い歴史や日中戦争時の複雑な構図を考えれば、旧ソ連や現ロシアと同じ仮想敵国とすべきではないことはわかるはずだ。
アメリカのアジア戦略に同調せねばならない事情はあるにしても、日中関係を悪化させる論調はどうかと思う。
こんなことを思いながら、思い出したのがこの本である。
冷戦終結後、国境を超えて活動するグローバルな非国家主体の増加と、それによる(先進)国家間での相互依存の緊密化を、個人の帰属や君臣関係が境界を超えて複合化していた中世封建ヨーロッパ的な世界の再来と見る「新しい中世」論(neomedievalism)が、主に国際政治学で盛んになったが〔ex.田中1996[2003]:Chap.7]、サイバースペース上の空間分割に代表されるような諸現象から考察して、先述の山下範久〔2002:72-90〕は、現在のグローバル化はむしろ「新しい近世」の段階に入っているという、刺激的な洞察を行っている。アーキテクチャの設計次第で人々がアクセスする「世界」の範囲を自在に切り分けることができる、IT技術の増殖が典型的に示しているように〔Lessig1999=2001:Chap.7)、今日はあたかもかつての近世東アジア諸国がそうであった如く、複数の「世界」がその認識を相互に交渉させることなく、並存する時代になっているのではないかというのである〔山下2003:230-235]。本書の視点から再解釈すれば、もともと西洋起源のきわめて特殊で、なおかつ脆弱な存在であった「近代」という装置の幻想性が明白になるにつれて、実は人間社会がその根幹においては近世以来の段階に留まっていたことが次第に露呈し、メディアやプラットフォームもそちらにあわせて整備されるようになってきているということになる。いわば「新しい」近世というよりは、今一度の近世への「回帰」である。[256-257]
日本の近代化に翻弄された沖縄を考えるに際して、與那覇は近代化を相対化して考えようとしている。あらゆる面で「国民国家」の破綻は現実化しており、国民国家こそ総力戦のための体制だったこともわかっている現在では、歴史を遡るというのではなくて、脱近代化、脱国民国家の思想が必要であろう。
中国の父兄親族集団は国家を当てにできない時代に誕生した。そもそも漢民族などはいい加減に拡大する民族である。
これも日本も同じで名乗りさえしなければ、風貌で分からない在日外国人は日本名の通称で生きていけるのと、さほど変わりはないだろう。
国家が破綻することを危惧するよりも、経済的にも相互扶助としても自律できない、個人、家族、親族、村落共同体を真剣に考えるべきだと思う。
国家が機能しなくなった無縁社会の克服が何よりも急務だと思う。右傾化する人はそのために仮想敵国をつくって、戦時体制をもう一度再構築しようというのだろうか?
翻訳の政治学―近代東アジア世界の形成と日琉関係の変容
2009年12月18日 第1刷発行
著 者 與那覇潤【よなはじゅん】
発行者 山口昭男
発行所 株式会社岩波書店
目次
序論 「同じであること」と翻訳の政治 一
1 同一性と翻訳 二
(1)同一性の哲学史 二
(2)価翻訳の哲学史 四
(3)翻訳の社会学 八
(4)翻訳の政治学 一二
(5)翻訳の制度論 三
2 東アジアの近代と翻訳 一六
(1)東アジア的近代論の混乱 一六
(2)国民国家論の誤謬 一七
(3)漢文脈と近世外交 二〇
(4)長い近代と短い近代 二三
(5)本書の構成 二六
3 日琉関係の翻訳―維新以前 二七
(1)近世期: 二七
(2)幕末期: 三〇
第Ⅰ部 「人種問題」前夜- 「琉球処分」期の東アジア国際秩序 三五
第一章 外交の翻訳論―FHバルフォアと一九世紀末東アジア英語言論圏の成立::四〇
1 東アジアの近代と「西洋の衝撃」再考 四〇
2 明治初年の日琉関係:: 四三
(1)「琉球処分」以前: 四三
(2)「琉球処分」以降 四五
3 フレドリックヘンリーバルフォアー知られざる日本公使館員: 四七
4 「世界ノ公論」の争奪-英字新聞上の日中間象徴闘争 ‥五〇
5 翻訳という齟齬1言説空間の乖離と秩序観の未統一 五四
(1)バルフォア自身の琉球論= 五四
(2)領土観の齟齬 :.五六
(3)人種論の齟齬: 五九
6 小 結―東アジア英字新聞における翻訳と公共隼 六一
(1)英語言論圏の形成とその意義 六一
(2)今日的含意 六四
第二章 国境の翻訳論―「琉球処分」は人種問題か、日本琉球中国西洋 六九
1 「琉球処分」と「民族問題」の不在 六九
(1)ナショナリズム論の袋小路 六九
(2)琉球処分は民族問題か? =七一
(3)言説と文脈、「人種」と「民族」 =.七三
2 一九世紀における近代国際秩序と人種論の位相: : 七四
(1)『万国公法』 七四
(2) ペリー艦隊民族誌 七六
(3)大槻文彦の翻訳 七八
(4)松田道之二打の併合正当化論 七九
(5)人種概念と古代史の不在 八〇
3 人種論の交錯と乖離-グラント調停交渉における翻訳 八二
(1)中国でのグラント 八二
(2)明治政府の外交準備 八五
(3)日本でのグラント 八八
(4)横浜英字新聞での人種論争 八九
(5)明治政府の反論 九三
4 東アジア世界の論理と琉球帰属問題 九五
(1)持続する中華世界秩序 九五
(2)同文同種論の位相‥ 九九
(3)人種言説の存在と非活用一〇二
5 小 結― ナショナリズムの制度論に向けて 一〇四
間章α 国民の翻訳論 ― 日本内地の言説変容 一一〇
1 血統の翻訳論 - 「誤った自画像」をめぐって 一一〇
2 家族の翻訳論- 「家」の「血」への翻訳 一一三
(1)民法典編纂以前 一一三
(2)民法典論争 一一四
(3)穂積八束 一一六
3 人種の翻訳論― 「人種」のRaceへの翻訳 一二〇
(1)「人類学」以前 一二〇
(2)「人類学」以降 一二二
4 文化の翻訳論 ― Culture\Kulturの「文化」への翻訳=一二五
(1)明治期 一二五
(2)大正期 一二七
5 中間総括―翻訳、媒介、ネットワーク 一三二
第Ⅱ部 「民族統一」以降― 「沖縄人」が「日本人」になるとき 一三九(076)
第三章 統合の翻訳論― 「日琉同祖論」の成立と二〇世紀型秩序への転換: :一四五
1 歴史という劇場と演技と一四五
2 近 世―向象賢建議と為朝伝説 一四八
(1)向象賢建議 一四八
(2)源為朝渡琉伝説 一五〇
3一九世紀まで ―日本内地の史料研究状況 一五一
(1)松田道之の神話批判 一五一
(2)明治政府の史料政策-同祖論の「発見」と非活用 一五三
(3)一九世紀末の内地歴史学界 一五五
(4)民族化の端緒? -同化教育という現場 一五七
4 二〇世紀への転換-内地アカデミズムの変容 一六一
(1)土俗研究の始まり 一六一
(2)神話学の誕生= 一六二
(3)高橋龍雄の琉球神話論 一六四
5 琉球弧の二〇世紀―書き換わる歴史認識 二ハ七
(1)伊波普猷の登場 一六七
(2)東恩納寛惇と為朝伝説論争一七三
(3)民族統一論の定着 一七七
6 小 結―民族とはなんであったか 一七八
(1)公定ナショナリズム論の誤謬 一七八
(2)民族とロマン主義、そして国家 一八〇
(3)民族概念の利益とコスト 一八二
(4)二民族を超えるもの 一八四
第四章 革命の翻訳論― 沖縄青年層の見た辛亥革命と大正政変一九〇
1 「日本人になること」と「中華世界からの離脱」 一九〇
(1)「日清戦争分水嶺説」の成果と課題 一九〇
(2)ポストコロニアリズムと反復する伊波史観 =一九二
(3)中国史への再接合と翻訳(論)の可能性 一九四
2 第一革命期の『琉球新報』~古典的中国観と傍観論 一九六
3 第一革命期の『沖縄毎日新聞』~「革命」への没入とその挫折 二〇一
4 第二革命期の『琉球新報』~中国観の転換と衆愚政治への警鐘 二〇四
(1)漢籍から文明史へ 二〇四
(2)デモクラシーとポピュリズムの狭間で 二〇七
5 第二革命期の『沖縄毎日新聞』―革命「からの」投金への反転二〇八
(1)革命未だ止まず=二〇八
(2)新理想主義の方へ 二一〇
(3)理想への同化に賭けて 二一五
6 小 結―帝国日本という舞台 二一七
間章β 帝国の翻訳論―伊波普猷と李光洙、もしくは国家と民族のあいだ:二二三
1 琉球弧と朝鮮、二つの「植民地公共性」二二三
(1)「植民地公共性」の比較? 二二三
(2)伊波普猷と李光洙 二二五
2 二〇世紀東アジアにおける民族と国家 二二八
(1)国家から民族へ 二二八
(2)「民族主義」の流入と受容 二三〇
(3)「真正さの体制」と民族のゆくえ 二三二
3 帝国を翻訳する 二三五
(1)大正期沖縄県紙の見たアメリカ 二三五
(2)帝国への抵抗と、翻訳と 二三七
結論 翻訳の哲学と歴史の倫理 二四三
1 近 代 二四六
(1)翻訳は不幸を生むか: 二四六
(2)近代の認識論と翻訳 二四九
(3)最初からポストモダンだった近代 二五二
2 現 代= 二五四
(1)持続する近世外交? 二五四
(2)再近世化と「新しくない」レイシズム 二五七
(3)翻訳不可能性再考 二五九
(4)近代と翻訳の意義 二六四
3 「ポスト近代」 二七〇
(1)理念なき国家日本? 二七〇
(2)帝国論の不毛を超えて 二七三
(3)中国化した世界? 二七五
参照文献 二八三
1一次史料 二八三
2 二次文献 二八九
あとがき 三一一
東は東北の震災で「日本」というものがなくなることをおそれたというが、テレビでの討論でも日本とか民族という言葉をきちっと検証していなかった。
グローバライズされた今の日本での企業の生き残り戦略は、既に日本の国家の域を出ているのに、マスコミに接近している知識人たちは、国家に固執し続けていた。
そういえば、最近マスコミも中国の軍事的な台頭に対抗するための日米同盟という論調が多いが、日中関係の長い歴史や日中戦争時の複雑な構図を考えれば、旧ソ連や現ロシアと同じ仮想敵国とすべきではないことはわかるはずだ。
アメリカのアジア戦略に同調せねばならない事情はあるにしても、日中関係を悪化させる論調はどうかと思う。
こんなことを思いながら、思い出したのがこの本である。
冷戦終結後、国境を超えて活動するグローバルな非国家主体の増加と、それによる(先進)国家間での相互依存の緊密化を、個人の帰属や君臣関係が境界を超えて複合化していた中世封建ヨーロッパ的な世界の再来と見る「新しい中世」論(neomedievalism)が、主に国際政治学で盛んになったが〔ex.田中1996[2003]:Chap.7]、サイバースペース上の空間分割に代表されるような諸現象から考察して、先述の山下範久〔2002:72-90〕は、現在のグローバル化はむしろ「新しい近世」の段階に入っているという、刺激的な洞察を行っている。アーキテクチャの設計次第で人々がアクセスする「世界」の範囲を自在に切り分けることができる、IT技術の増殖が典型的に示しているように〔Lessig1999=2001:Chap.7)、今日はあたかもかつての近世東アジア諸国がそうであった如く、複数の「世界」がその認識を相互に交渉させることなく、並存する時代になっているのではないかというのである〔山下2003:230-235]。本書の視点から再解釈すれば、もともと西洋起源のきわめて特殊で、なおかつ脆弱な存在であった「近代」という装置の幻想性が明白になるにつれて、実は人間社会がその根幹においては近世以来の段階に留まっていたことが次第に露呈し、メディアやプラットフォームもそちらにあわせて整備されるようになってきているということになる。いわば「新しい」近世というよりは、今一度の近世への「回帰」である。[256-257]
日本の近代化に翻弄された沖縄を考えるに際して、與那覇は近代化を相対化して考えようとしている。あらゆる面で「国民国家」の破綻は現実化しており、国民国家こそ総力戦のための体制だったこともわかっている現在では、歴史を遡るというのではなくて、脱近代化、脱国民国家の思想が必要であろう。
中国の父兄親族集団は国家を当てにできない時代に誕生した。そもそも漢民族などはいい加減に拡大する民族である。
これも日本も同じで名乗りさえしなければ、風貌で分からない在日外国人は日本名の通称で生きていけるのと、さほど変わりはないだろう。
国家が破綻することを危惧するよりも、経済的にも相互扶助としても自律できない、個人、家族、親族、村落共同体を真剣に考えるべきだと思う。
国家が機能しなくなった無縁社会の克服が何よりも急務だと思う。右傾化する人はそのために仮想敵国をつくって、戦時体制をもう一度再構築しようというのだろうか?
翻訳の政治学―近代東アジア世界の形成と日琉関係の変容
2009年12月18日 第1刷発行
著 者 與那覇潤【よなはじゅん】
発行者 山口昭男
発行所 株式会社岩波書店
目次
序論 「同じであること」と翻訳の政治 一
1 同一性と翻訳 二
(1)同一性の哲学史 二
(2)価翻訳の哲学史 四
(3)翻訳の社会学 八
(4)翻訳の政治学 一二
(5)翻訳の制度論 三
2 東アジアの近代と翻訳 一六
(1)東アジア的近代論の混乱 一六
(2)国民国家論の誤謬 一七
(3)漢文脈と近世外交 二〇
(4)長い近代と短い近代 二三
(5)本書の構成 二六
3 日琉関係の翻訳―維新以前 二七
(1)近世期: 二七
(2)幕末期: 三〇
第Ⅰ部 「人種問題」前夜- 「琉球処分」期の東アジア国際秩序 三五
第一章 外交の翻訳論―FHバルフォアと一九世紀末東アジア英語言論圏の成立::四〇
1 東アジアの近代と「西洋の衝撃」再考 四〇
2 明治初年の日琉関係:: 四三
(1)「琉球処分」以前: 四三
(2)「琉球処分」以降 四五
3 フレドリックヘンリーバルフォアー知られざる日本公使館員: 四七
4 「世界ノ公論」の争奪-英字新聞上の日中間象徴闘争 ‥五〇
5 翻訳という齟齬1言説空間の乖離と秩序観の未統一 五四
(1)バルフォア自身の琉球論= 五四
(2)領土観の齟齬 :.五六
(3)人種論の齟齬: 五九
6 小 結―東アジア英字新聞における翻訳と公共隼 六一
(1)英語言論圏の形成とその意義 六一
(2)今日的含意 六四
第二章 国境の翻訳論―「琉球処分」は人種問題か、日本琉球中国西洋 六九
1 「琉球処分」と「民族問題」の不在 六九
(1)ナショナリズム論の袋小路 六九
(2)琉球処分は民族問題か? =七一
(3)言説と文脈、「人種」と「民族」 =.七三
2 一九世紀における近代国際秩序と人種論の位相: : 七四
(1)『万国公法』 七四
(2) ペリー艦隊民族誌 七六
(3)大槻文彦の翻訳 七八
(4)松田道之二打の併合正当化論 七九
(5)人種概念と古代史の不在 八〇
3 人種論の交錯と乖離-グラント調停交渉における翻訳 八二
(1)中国でのグラント 八二
(2)明治政府の外交準備 八五
(3)日本でのグラント 八八
(4)横浜英字新聞での人種論争 八九
(5)明治政府の反論 九三
4 東アジア世界の論理と琉球帰属問題 九五
(1)持続する中華世界秩序 九五
(2)同文同種論の位相‥ 九九
(3)人種言説の存在と非活用一〇二
5 小 結― ナショナリズムの制度論に向けて 一〇四
間章α 国民の翻訳論 ― 日本内地の言説変容 一一〇
1 血統の翻訳論 - 「誤った自画像」をめぐって 一一〇
2 家族の翻訳論- 「家」の「血」への翻訳 一一三
(1)民法典編纂以前 一一三
(2)民法典論争 一一四
(3)穂積八束 一一六
3 人種の翻訳論― 「人種」のRaceへの翻訳 一二〇
(1)「人類学」以前 一二〇
(2)「人類学」以降 一二二
4 文化の翻訳論 ― Culture\Kulturの「文化」への翻訳=一二五
(1)明治期 一二五
(2)大正期 一二七
5 中間総括―翻訳、媒介、ネットワーク 一三二
第Ⅱ部 「民族統一」以降― 「沖縄人」が「日本人」になるとき 一三九(076)
第三章 統合の翻訳論― 「日琉同祖論」の成立と二〇世紀型秩序への転換: :一四五
1 歴史という劇場と演技と一四五
2 近 世―向象賢建議と為朝伝説 一四八
(1)向象賢建議 一四八
(2)源為朝渡琉伝説 一五〇
3一九世紀まで ―日本内地の史料研究状況 一五一
(1)松田道之の神話批判 一五一
(2)明治政府の史料政策-同祖論の「発見」と非活用 一五三
(3)一九世紀末の内地歴史学界 一五五
(4)民族化の端緒? -同化教育という現場 一五七
4 二〇世紀への転換-内地アカデミズムの変容 一六一
(1)土俗研究の始まり 一六一
(2)神話学の誕生= 一六二
(3)高橋龍雄の琉球神話論 一六四
5 琉球弧の二〇世紀―書き換わる歴史認識 二ハ七
(1)伊波普猷の登場 一六七
(2)東恩納寛惇と為朝伝説論争一七三
(3)民族統一論の定着 一七七
6 小 結―民族とはなんであったか 一七八
(1)公定ナショナリズム論の誤謬 一七八
(2)民族とロマン主義、そして国家 一八〇
(3)民族概念の利益とコスト 一八二
(4)二民族を超えるもの 一八四
第四章 革命の翻訳論― 沖縄青年層の見た辛亥革命と大正政変一九〇
1 「日本人になること」と「中華世界からの離脱」 一九〇
(1)「日清戦争分水嶺説」の成果と課題 一九〇
(2)ポストコロニアリズムと反復する伊波史観 =一九二
(3)中国史への再接合と翻訳(論)の可能性 一九四
2 第一革命期の『琉球新報』~古典的中国観と傍観論 一九六
3 第一革命期の『沖縄毎日新聞』~「革命」への没入とその挫折 二〇一
4 第二革命期の『琉球新報』~中国観の転換と衆愚政治への警鐘 二〇四
(1)漢籍から文明史へ 二〇四
(2)デモクラシーとポピュリズムの狭間で 二〇七
5 第二革命期の『沖縄毎日新聞』―革命「からの」投金への反転二〇八
(1)革命未だ止まず=二〇八
(2)新理想主義の方へ 二一〇
(3)理想への同化に賭けて 二一五
6 小 結―帝国日本という舞台 二一七
間章β 帝国の翻訳論―伊波普猷と李光洙、もしくは国家と民族のあいだ:二二三
1 琉球弧と朝鮮、二つの「植民地公共性」二二三
(1)「植民地公共性」の比較? 二二三
(2)伊波普猷と李光洙 二二五
2 二〇世紀東アジアにおける民族と国家 二二八
(1)国家から民族へ 二二八
(2)「民族主義」の流入と受容 二三〇
(3)「真正さの体制」と民族のゆくえ 二三二
3 帝国を翻訳する 二三五
(1)大正期沖縄県紙の見たアメリカ 二三五
(2)帝国への抵抗と、翻訳と 二三七
結論 翻訳の哲学と歴史の倫理 二四三
1 近 代 二四六
(1)翻訳は不幸を生むか: 二四六
(2)近代の認識論と翻訳 二四九
(3)最初からポストモダンだった近代 二五二
2 現 代= 二五四
(1)持続する近世外交? 二五四
(2)再近世化と「新しくない」レイシズム 二五七
(3)翻訳不可能性再考 二五九
(4)近代と翻訳の意義 二六四
3 「ポスト近代」 二七〇
(1)理念なき国家日本? 二七〇
(2)帝国論の不毛を超えて 二七三
(3)中国化した世界? 二七五
参照文献 二八三
1一次史料 二八三
2 二次文献 二八九
あとがき 三一一
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