2012年8月30日木曜日

『ヨーロッパ的普遍主義』イマニュエル・ウオーラーステイン

ウオーラーステインに関しては以前から何度も引用された文献を読んでいたので、知ってはいたが、本来『近代世界システム』の基礎文献から読むべきところを、題名につられて先に読んでしまった。
副題の「近代世界システムにおける構造的暴力と権力の修辞学」という意味合いは、著者の弟子であり訳者である山下範久氏が日本の読者のために付け加えたようだ。
「暴力」という言葉は、本文ではあまり見いだせないが、山下氏は「訳者あとがき」で多く使っている。
これは我々、ヨーロッパの外にあって、その普遍主義に付き合うことによって生きざるを得ない、立場を表現しているように思う。

本文でも「軍事的」という言葉は見いだせるが、軍事そのものがもつシステムへの影響力の説明はない。
社会学は例外を除いて、それを避けてきたように思う。
経済や政治の暴力と一体化している、暴力そのものの軍事の本質を説明しないことにジレンマを感じてきたがこの書も同じであった。
しかし、科学や人文という学問そのものの暴力性も暴いていることには非常に参考になった。

エリザベス・アボットの『砂糖の歴史』 で生々しい奴隷という暴力の現場の書を読んだ後で、抽象的な暴力のレトリックを学ぶというのももどかしい。
戦争や災害によって脆くも崩れていく、都市文明を身近に感じながら、何とか99%の弱者の中でも何とか生き延びようという我々庶民の生き方に、別の生き方があるのか?
今日もシャープという企業の断末魔をニュースで見ながら、動乱期に生きる現代人の哀れさを思い知る。
1%の強者はシステムの暴力とうまく手を繋ぎながら、正体を見せない。
それを考えさせられる書である。
なお、「訳者のあとがき」も非常に解説として分かりやすい。

目次
ヨーロッパ的普遍主義-近代世界システムにおける構造的暴力と権力の修辞学

著者 イマニュエル・ウオーラーステイン

訳者 山下範久
2008年
発行者 石井昭男
発行所 株式会社明石書店

                   目 次


                 謝辞 9


             はじめに 11
   今日における普遍主義の政治学 

 第Ⅰ章 干渉の権利はだれのものか 19
    -野蛮に対する普遍的価値 

 第Ⅱ章 ひとは非東洋学者になりうるか 69
      -本質主義的個別主義 

 第Ⅲ章 真理はいかにして知られるか 105
      ~科学的普遍主義 

 第Ⅳ章 観念のパワー、パワーの観念 139
    - 与えることと受け取ること? 

          文献一覧 164
           訳者あとがき 168
           索引 189
Acknowledgments

Introduction:
The Politics of Universalism Today

1/Whose Right to lntervene?
Universal Values Against Barbarism

2/Can One Be a Non-Orientalist?
Essentialist Particularism

3/How Do We Know the Truth?
Scientific Universalism

4/The Power of Ideas,the Ideas of Power:
To Give and to Receive?

Bibliography


2012年8月23日木曜日

『砂糖の歴史』 エリザベス・アボット

この書籍も、今までの自分の研究を根本的に見なおさねばならないことを感じさせられました。
私は「奄美の歴史」は日本の歴史において非常に「不都合な歴史」と常々思ってきました。
あの歯切れの良い小熊英二氏でさえ「日本人の境界」で深いりすることをためらう地域ですから、よほど覚悟を持って歴史認識を考えないといけないと思っています。
やはり、一番の問題は村落によっては人口比3割を超えたという、ヤンチュの問題です。
奴隷、人身売買、年季奉公というような分析用語で簡単に括るわけには行きません。
色々と読みあさりましたが、今回読んだこの書籍はタイトルが「砂糖の歴史」と言いながら、実は近代奴隷制度の歴史であり、生活史でもありました。
『近世奄美の支配と社会』 (松下志朗 1983  第一書房)と一緒に読んで頂ければ、他人事ではないことに気付かされる筈です。
この書では中国とインドがプランテーション化を免れた地域として扱い、年季奉公者の部分を大きく取り上げていますが、奄美や台湾を考える時にはそれでは済まされないと思います。
オランダを媒介として仕組まれたシステムとして(専売制と日本の歴史家は呼ぶでしょうが)、近代奴隷制度による植民地としての視角を持つべき事を確証させてくれた書籍です。

目次
砂糖の歴史【さとう】【れきし】
2011年5月20日 初版印刷
2011年5月30日 初版発行
著 者  エリザベス・アボット
訳 者  樋口幸子
装幌者  岩瀬聡
発行者  小野寺優
発行所  株式会社河出書房新社

 序 章 7


第1部 西洋を征服した東洋の美味 17

 第1章 「砂糖」王の台頭 18

 第2章 砂糖の大衆化 56


第2部 黒い砂糖 93

 第3章 アフリカ化されたサトウキビ畑 94

 第4章 白人が創り出した世界 150

 第5章 砂糖が世界を動かす 181


第2部 抵抗と奴隷制廃止 227

 第6章 人種差別、抵抗、反乱、そして革命 228

 第7章 血まみれの砂糖 - 奴隷貿易廃止運動 266

 第8章 怪物退治―奴隷制と年季奉公制 297

 第9章 キューバとルイジアナ―北アメリカ向けの砂糖 326


 第4部 甘くなる世界 375

  第10章 砂糖農園の出稼ぎ移民たち 376

  第11章 セントルイスへ来て、見て、食べて! 421

  第12章 砂糖の遺産と将来 458



  謝 辞 497

  訳者あとがき 500

  参考文献 513

2012年8月9日木曜日

『民権と憲法』 牧原憲夫

私は日本の「創られた伝統」ということに関して言えば、日本の近代に関してきちっと把握できているという自信が無かった。
そこで岩波新書のシリーズ日本近現代史が読みやすいように思えたので、読み始めた。
2巻目のこの書は一見タイトルは面白みのないもので、全部読み切れるか心配だったが、下手な歴史小説より余程面白い。
Wikipediaには「牧原 憲夫(まきはら のりお、1943年-)は、日本の歴史学者東京経済大学非常勤講師。専門は日本近代史  特に明治期の民衆史社会史。 」と紹介されている。
タイトルが政治史のようなイメージを与えるのだが、民衆史・社会史に近い理由がよく分かった。

網野善彦氏は大上段に日本史の「創られた歴史」の部分を批判して、それはそれなりに考えさせられる。
しかし、牧原憲夫氏のように民衆の立場に立った史料を突きつけるほうが、底の浅い「創られた歴史」を笑い飛ばすことができる。
つい最近まで「美しい国日本」とか「和の文化の再考」とか、日本人をあたかも古い伝統の中で維持された民族のように捉える傾向が強かった。
網野氏は日本という国家の起源まで遡って批判したが、明治初期の状況を描くことで充分批判できることが分かる。

私はそもそも権力側にあった薩摩の歴史を調べることから取り組んだので、明治初期の薩長の動向は特に気になっていた。
薩長によって創られた伝統・歴史が、その後の薩長によって創られた軍や官僚システムの中からできあがった権力によって、当初よりもいっそう突出した既成事実の権威を持って暴走した。
薩長は潜在的に権威を維持しながら、表舞台から裏側に回ったという印象である。
その最たるものが近代天皇であるが、この書ではいかに伊藤博文が明治天皇を信頼していなかったかがよく分かる。
明治天皇は長州によって捏造されたとまで言われるのが分かるような気もする。

たぶん、多くの読者はタイトルだけで敬遠してしまいそうなので、この書を立ち読みでも良いから手にとって、章立てに拘らずに呼んで貰いたいと思う。
私が以前から研究してきた、教育史や家族史なども分かりやすく概観してくれている。
硬そうな岩波新書を読んでいながら、思わず吹き出してしまうことで愉快に感じるのではないかと思う。
高校の日本史を受験のために字面だけ勉強しただけでは、面白みのないこの時代を、面白く描いてくれているお勧めの書である。

目次
民権と憲法
シリーズ日本近現代史②岩波新書(新赤版)1043
2006年12月20日第1刷発行


著者牧原憲夫【まきはらのりお】
発行者山口昭男
発行所株式会社岩波書店

   目 次

 はじめに

第1章 自由民権運動と民衆…・
   1 竹橋事件と立志社建白書  2
   2 県議会から国会開設へ  8
   3 国民主義の両義性  18


第2章 「憲法と議会」をめぐる攻防:…・     ………・31
   1 対立と混迷  32
   2 明治一四年政変  38
   3 自由民権運動の浸透と衰退  30

第3章 自由主義経済と民衆の生活…          :59
   1 松方財政と産業の発展  60
   2 強者の自由と「仁政」要求  70
   3 合理主義の二面性  80

第4章 内国植民地と「脱亜」への道      ・…:93
   1 「文明」と 「囲い込み」 の論理  94
   2 琉球王国の併合  106
   3 朝鮮・中国と日本  112

第5章 学校教育と家族…・             …127
   1一八八〇年代の学校教育  128
   2 森有礼の国民主義教育 134
   3 近代家族と女性  147

第6章 近代天皇制の成立…            …159
   1 近代的国家機構の整備  160
   2 民衆と天皇  174
   3 帝国憲法体制の成立  188

 おわりに・                   :201

  あとがき 207

  参考文献
  略年表
   索 引



2012年7月31日火曜日

『翻訳の政治学』  與那覇潤

このところ、批評家東浩紀が草案した憲法論議について、今朝(2012/07/31)の朝日新聞で大きく取り上げられていたが、先週の朝まで生テレビでも少し見た。
東は東北の震災で「日本」というものがなくなることをおそれたというが、テレビでの討論でも日本とか民族という言葉をきちっと検証していなかった。
グローバライズされた今の日本での企業の生き残り戦略は、既に日本の国家の域を出ているのに、マスコミに接近している知識人たちは、国家に固執し続けていた。
そういえば、最近マスコミも中国の軍事的な台頭に対抗するための日米同盟という論調が多いが、日中関係の長い歴史や日中戦争時の複雑な構図を考えれば、旧ソ連や現ロシアと同じ仮想敵国とすべきではないことはわかるはずだ。
アメリカのアジア戦略に同調せねばならない事情はあるにしても、日中関係を悪化させる論調はどうかと思う。
こんなことを思いながら、思い出したのがこの本である。

冷戦終結後、国境を超えて活動するグローバルな非国家主体の増加と、それによる(先進)国家間での相互依存の緊密化を、個人の帰属や君臣関係が境界を超えて複合化していた中世封建ヨーロッパ的な世界の再来と見る「新しい中世」論(neomedievalism)が、主に国際政治学で盛んになったが〔ex.田中1996[2003]:Chap.7]、サイバースペース上の空間分割に代表されるような諸現象から考察して、先述の山下範久〔2002:72-90〕は、現在のグローバル化はむしろ「新しい近世」の段階に入っているという、刺激的な洞察を行っている。アーキテクチャの設計次第で人々がアクセスする「世界」の範囲を自在に切り分けることができる、IT技術の増殖が典型的に示しているように〔Lessig1999=2001:Chap.7)、今日はあたかもかつての近世東アジア諸国がそうであった如く、複数の「世界」がその認識を相互に交渉させることなく、並存する時代になっているのではないかというのである〔山下2003:230-235]。本書の視点から再解釈すれば、もともと西洋起源のきわめて特殊で、なおかつ脆弱な存在であった「近代」という装置の幻想性が明白になるにつれて、実は人間社会がその根幹においては近世以来の段階に留まっていたことが次第に露呈し、メディアやプラットフォームもそちらにあわせて整備されるようになってきているということになる。いわば「新しい」近世というよりは、今一度の近世への「回帰」である。[256-257]

日本の近代化に翻弄された沖縄を考えるに際して、與那覇は近代化を相対化して考えようとしている。あらゆる面で「国民国家」の破綻は現実化しており、国民国家こそ総力戦のための体制だったこともわかっている現在では、歴史を遡るというのではなくて、脱近代化、脱国民国家の思想が必要であろう。
中国の父兄親族集団は国家を当てにできない時代に誕生した。そもそも漢民族などはいい加減に拡大する民族である。
これも日本も同じで名乗りさえしなければ、風貌で分からない在日外国人は日本名の通称で生きていけるのと、さほど変わりはないだろう。
国家が破綻することを危惧するよりも、経済的にも相互扶助としても自律できない、個人、家族、親族、村落共同体を真剣に考えるべきだと思う。
国家が機能しなくなった無縁社会の克服が何よりも急務だと思う。右傾化する人はそのために仮想敵国をつくって、戦時体制をもう一度再構築しようというのだろうか?

翻訳の政治学―近代東アジア世界の形成と日琉関係の変容
2009年12月18日 第1刷発行

著 者 與那覇潤【よなはじゅん】
発行者 山口昭男
発行所 株式会社岩波書店

目次

序論 「同じであること」と翻訳の政治       一
1 同一性と翻訳           二
(1)同一性の哲学史         二
(2)価翻訳の哲学史              四
(3)翻訳の社会学     八
(4)翻訳の政治学        一二
(5)翻訳の制度論              三
2 東アジアの近代と翻訳                一六
(1)東アジア的近代論の混乱      一六
(2)国民国家論の誤謬     一七
(3)漢文脈と近世外交      二〇
(4)長い近代と短い近代               二三
(5)本書の構成          二六
3 日琉関係の翻訳―維新以前     二七
    (1)近世期:   二七
(2)幕末期:        三〇
第Ⅰ部 「人種問題」前夜- 「琉球処分」期の東アジア国際秩序       三五
第一章 外交の翻訳論―FHバルフォアと一九世紀末東アジア英語言論圏の成立::四〇
1 東アジアの近代と「西洋の衝撃」再考     四〇
2 明治初年の日琉関係::            四三
(1)「琉球処分」以前:     四三
(2)「琉球処分」以降                       四五
3 フレドリックヘンリーバルフォアー知られざる日本公使館員: 四七
4 「世界ノ公論」の争奪-英字新聞上の日中間象徴闘争   ‥五〇
5 翻訳という齟齬1言説空間の乖離と秩序観の未統一     五四
(1)バルフォア自身の琉球論=              五四
(2)領土観の齟齬               :.五六
(3)人種論の齟齬:            五九
6 小 結―東アジア英字新聞における翻訳と公共隼    六一
(1)英語言論圏の形成とその意義          六一
(2)今日的含意              六四
第二章 国境の翻訳論―「琉球処分」は人種問題か、日本琉球中国西洋  六九
1 「琉球処分」と「民族問題」の不在        六九
(1)ナショナリズム論の袋小路  六九
(2)琉球処分は民族問題か?                  =七一
(3)言説と文脈、「人種」と「民族」        =.七三
2 一九世紀における近代国際秩序と人種論の位相:    : 七四
(1)『万国公法』           七四
(2) ペリー艦隊民族誌     七六
(3)大槻文彦の翻訳            七八
(4)松田道之二打の併合正当化論       七九
(5)人種概念と古代史の不在                  八〇
3 人種論の交錯と乖離-グラント調停交渉における翻訳  八二
(1)中国でのグラント       八二
(2)明治政府の外交準備           八五
(3)日本でのグラント          八八
(4)横浜英字新聞での人種論争  八九
(5)明治政府の反論    九三
4 東アジア世界の論理と琉球帰属問題  九五
(1)持続する中華世界秩序                  九五
(2)同文同種論の位相‥          九九
(3)人種言説の存在と非活用一〇二
5 小 結― ナショナリズムの制度論に向けて 一〇四
間章α 国民の翻訳論 ― 日本内地の言説変容     一一〇
1 血統の翻訳論 - 「誤った自画像」をめぐって          一一〇
2 家族の翻訳論- 「家」の「血」への翻訳        一一三
(1)民法典編纂以前            一一三
(2)民法典論争        一一四
(3)穂積八束              一一六
3 人種の翻訳論― 「人種」のRaceへの翻訳 一二〇
(1)「人類学」以前    一二〇
(2)「人類学」以降                  一二二
4 文化の翻訳論 ― Culture\Kulturの「文化」への翻訳=一二五
(1)明治期                  一二五
(2)大正期                 一二七
5 中間総括―翻訳、媒介、ネットワーク           一三二
第Ⅱ部 「民族統一」以降― 「沖縄人」が「日本人」になるとき   一三九(076)
第三章 統合の翻訳論― 「日琉同祖論」の成立と二〇世紀型秩序への転換:  :一四五
1 歴史という劇場と演技と一四五
2 近 世―向象賢建議と為朝伝説          一四八
(1)向象賢建議    一四八
(2)源為朝渡琉伝説                一五〇
3一九世紀まで ―日本内地の史料研究状況   一五一
(1)松田道之の神話批判              一五一
(2)明治政府の史料政策-同祖論の「発見」と非活用        一五三
(3)一九世紀末の内地歴史学界 一五五
(4)民族化の端緒? -同化教育という現場  一五七
4 二〇世紀への転換-内地アカデミズムの変容 一六一
(1)土俗研究の始まり    一六一
(2)神話学の誕生=        一六二
(3)高橋龍雄の琉球神話論      一六四
5 琉球弧の二〇世紀―書き換わる歴史認識 二ハ七
(1)伊波普猷の登場             一六七
(2)東恩納寛惇と為朝伝説論争一七三
(3)民族統一論の定着       一七七
6 小 結―民族とはなんであったか    一七八
(1)公定ナショナリズム論の誤謬       一七八
(2)民族とロマン主義、そして国家    一八〇
(3)民族概念の利益とコスト        一八二
(4)二民族を超えるもの  一八四
第四章 革命の翻訳論― 沖縄青年層の見た辛亥革命と大正政変一九〇
1 「日本人になること」と「中華世界からの離脱」  一九〇
(1)「日清戦争分水嶺説」の成果と課題    一九〇
(2)ポストコロニアリズムと反復する伊波史観      =一九二
(3)中国史への再接合と翻訳(論)の可能性  一九四
2 第一革命期の『琉球新報』~古典的中国観と傍観論  一九六
3 第一革命期の『沖縄毎日新聞』~「革命」への没入とその挫折  二〇一
4 第二革命期の『琉球新報』~中国観の転換と衆愚政治への警鐘   二〇四
(1)漢籍から文明史へ            二〇四
(2)デモクラシーとポピュリズムの狭間で      二〇七
5 第二革命期の『沖縄毎日新聞』―革命「からの」投金への反転二〇八
(1)革命未だ止まず=二〇八
(2)新理想主義の方へ            二一〇
(3)理想への同化に賭けて              二一五
6 小 結―帝国日本という舞台           二一七
間章β 帝国の翻訳論―伊波普猷と李光洙、もしくは国家と民族のあいだ:二二三
1 琉球弧と朝鮮、二つの「植民地公共性」二二三
(1)「植民地公共性」の比較?        二二三
(2)伊波普猷と李光洙        二二五
2 二〇世紀東アジアにおける民族と国家   二二八
(1)国家から民族へ                 二二八
(2)「民族主義」の流入と受容  二三〇
(3)「真正さの体制」と民族のゆくえ         二三二
3 帝国を翻訳する         二三五
(1)大正期沖縄県紙の見たアメリカ          二三五
(2)帝国への抵抗と、翻訳と              二三七
結論 翻訳の哲学と歴史の倫理   二四三
1 近 代               二四六
(1)翻訳は不幸を生むか:          二四六
(2)近代の認識論と翻訳     二四九
(3)最初からポストモダンだった近代    二五二
2 現  代=                二五四
(1)持続する近世外交?      二五四
(2)再近世化と「新しくない」レイシズム       二五七
(3)翻訳不可能性再考                二五九
(4)近代と翻訳の意義                二六四
3 「ポスト近代」            二七〇
(1)理念なき国家日本?          二七〇
(2)帝国論の不毛を超えて          二七三
(3)中国化した世界?    二七五
参照文献              二八三
1一次史料                   二八三
2 二次文献                    二八九
あとがき                     三一一

2012年7月25日水曜日

柳田の経世済民の志はどこにいったのか    谷川健一

柳田国男に関しては色々と評されているが、この対談の中で柳田を貴族と言って憚らないことに何か違和感を非常に感じた。
確かに高等官僚だった柳田の振る舞いは、そのように評されても仕方ないのかも知れないが、生い立ちを考えれば成り上がり者が権威を持ったと評した方が良いのではないかと思う。
私はかねてより、播磨地方のあれだけ塩田労働者や、皮革業等の非常民が多く住む地方に生まれながら、農民に拘っていたのか疑問だったが、成り上がり者は生い立ちを隠したかったからではないかと思うようになった。

それは薩長の成り上がり者にも共通したところもあるだろう。
私は奄美研究の延長上に島津藩の歴史や民俗を調べたが、琉球諸島に引けを取らない独自の社会文化が見いだされた。
学会やインテリ達が構築した日本という国家の記述すべき文脈から、権威者の国元の社会文化は避けられた。
だから、彼を貴族と称するのは皮肉でしかないと思う。

*目次は前回のブログに掲載

2012年7月24日火曜日

同時多発テロと戦後日本ナショナリズム    島田雅彦

対話の回路―小熊英二対談集

初版第1刷発行 2005年7月29日
著 者 小熊英二・村上 龍・島田雅彦・
網野幸彦・谷川健一・赤坂憲雄・
上野千鶴子・姜 尚中・今沢 裕
発行者 堀江 洪
発行所 株式会社 新曜社


「日本」からのエクソダス           村上 龍 7


同時多発テロと戦後日本ナショナリズム    島田雅彦 69


**

人類史的転換期における歴史学と日本     網野善彦 123


柳田の経世済民の志はどこにいったのか    谷川健一201


〈有色の帝国〉 のアジア認識         赤坂意雄 249
- 柳田思想の水脈と可能性

***
戦後思想の巨大なタペストリー       上野千鶴子 285
- 『(民主)と(愛国)』をめぐって


ナショナリズムをめぐって           姜 尚中 311


****

秘密の喫茶店                 今沢 裕 329


あとがき                     小熊英二 386

このところオスプレイをめぐって対米関係がマスコミで取り上げられることが多いが、おそらく政治家も国民もアメリカの横暴に対して真剣に立ち向かう気もないだろう。アメリカの対中国戦略としてのオスプレイ投入を、尖閣列島に関する日本の対中関係とリンクさせる人もいると思う。島田雅彦が述べるアメリカやイギリスの東アジアにおける戦略の一環でもあるが、アジアの台頭を封じ込めるには日中関係に楔を打つ必要がある。アジアにおける冷戦の継続(北朝鮮問題等)こそ、アメリカの国益にそうものであることは誰しも分かっていながら、アメリカに追随した方が日本の国益にかなってきたという事実も否めない。
冷徹なアメリカの戦略をこの作品は分かりやすく解説してくれている。マスコミではオスプレイ導入の怒りの矛先をアメリカではなく、政府に向けている場面を繰り返し報道しているが、マスコミ自体アメリカを怖れていることは目に見えている。ただ、原発問題が以前とは違う市民運動になったように、基地問題が市民運動になる機会でもあるので、日本のこれからのアジアにおける戦略も踏まえて、しっかり考えるべきだろう。それにはこのようなこの書のような解説をしっかり読んでおく必要もあると思う。

2012年6月30日土曜日

川村湊「「作文」の帝国―近代日本の文化帝国主義の一様相」

私は奄美における歴史認識に関して様々な文献にあたっていた。
 この川村湊の作品は根底から自分の論展開を変更する必要を感じざるを得なかった。

・・・「武」は帝国を統一する原理ではあっても、帝国を統治する原理ではありえなかった。大王アパルはその帝国の支配原理としての「文字」と「文」、すなわち「歴史」をわがものにしようとしていたのである。・・・

これは中島敦の『文字禍【もじか】』という小説の一節の解釈であるが、琉球、北海道という内国植民地と他の台湾、朝鮮等の植民地との違いの一つとして、歴史を手に入れられたかどうかにも有ることに気がついた。
確かに高校の日本史の教科書には琉球や北海道のことには触れられている。しかし、多くは政治史であり、国家史である。必修科目から外されているにしろ、日本史は歴史を奪われた琉球諸島や北海道に明治維新前から住み続けていた多くの人々にとっては、支配原理に基づく歴史でしかない。つまり、戦後も歴史支配されたまま居続けているのが内国植民地である。
琉球王国の歴史さえ標準語に基づく文字で書かれているのであるから、いくら同じく「かな」の文化を共通に持っているにしろ、文字によって支配されていることに変わりはないだろう。かくいう自分も民俗誌はそれに基づいて書いているのだから、同じ穴の狢である。
ただ、東北やその他の周縁部の地や朝敵だった播磨のような地域は歴史を得ているのかというと、そうとも言い切れないが、一時にせよ日本史の中で国家の中枢に関わる歴史に参加した記述がなされていることに違いはあるだろう。

そういう観点に立てば明治維新を成功させた薩長を中心とした政権は、歴史を支配できたのか検証する必要が当然あるだろう。
奇しくも播磨出身の柳田国男が民俗学を国家の文化的統合に利用したことは『南島イデオロギーの発生- 柳田国男と植民地主義』  村井 紀 1992  福武書店によって指摘されている。
歴史そのものとしては〝狡兎死して走狗烹【に】らる″と鹿児島県史の大家原口虎雄の薩摩への評価は、歴史を支配できず、軍部や警察のみに支配力を維持したが、結果的にそれさえも失った(潜在的には維持)ことへの酷評だったのかも知れない。
奄美はそういう意味で琉球王国の歴史支配と薩摩の歴史支配の狭間の中で、それらが日本国家史支配の不備から、ますます存在を無視され、見失われた歴史を持つ地域と言うべきかも知れない。

ナショナリティの脱構築
1996年2月25日第1刷発行
1997年5月26日第2刷発行
[編者]酒井直樹
ブレット・ドバリー
伊豫谷登土翁
[発行者]渡邊周一
[発行所]柏書房株式会社
目次


編集方針について 3

序論 ナショナリティと母(国)語の政治 9
酒井直樹

第一部 ナショナリズムとコロニアリズム
熱帯科学と植民地主義「島民」をめぐる差異の分析学 57
冨山一郎

有色の植民帝国 一九二〇年前後の日系移民排斥と朝鮮統治論  81
小熊英二

「作文」の帝国 近代日本の文化帝国主義の一様相 105
川村湊

脱オリエンタリズムの思考 137
姜尚中

第二部 表象としてのナショナリティ
「女の物語」という制度 161
平田由美

「暗愚な戦争」という記憶の意味 高村光太郎の場合 183
中野敏男

丸山真男の「日本」 205
葛西弘隆

第三部 ナショナリティの現在

「国民」を語る文体 家または本来的であることの掟 233
長原豊

近代世界システムと周辺部国家 267
伊豫谷登士翁

日本バッシングの時代における日本研究 287
プレット・ド・バリー

人名索引 314